爆弾ジュース
花園さん、アロエ、どのくらい飲んでたの、と相方が携帯電話を持って言っている。私は傍らの腰の高さまで育ったトマトの苗や、そばの竹藪の七、八メートルになって枝を出しはじめているタケノコを見るとはなしに眺めていた。
――それじゃ足りないわよ、そんなに少なくては・・・
トマトは二週間ぐらい前に植えたもので、もうビニールの屋根をつけなければならない時期で、二人でその作業をしている途中だった。タケノコは一ヶ月前に出たものなのだがその成長はめざましく、背丈はもう大人の竹と肩を並べていて、あとは出た枝が葉を広げれば大人の仲間入りなのだ。
――爆弾ジュースやってみなさいよ、抗癌剤をやるのよね、その前に試してみるのもいいんじゃないかしら・・・
トマトもだが、近くにあるサツマイモもジャガイモも間もなく実をつけるだろう、とおもいながら、相方の向こうにある今年植えた柿の苗に目をやる。桃栗三年柿八年というが、最近の柿の苗は接ぎ木なので、三、四年で実をつけるのだ。今相方が電話で話している女性は、サツマイモやジャガイモが食べられるようになる頃はともかく、我が家の柿が実をつけたとしても、招いてそれを見てもらうことも食べてもらうこともできないだろうな、とおもいながら、聞くとはなしに相方の電話の声に耳を傾けていた。
先日の午後のことである。テーブルの上の相方の携帯電話に着信があって、私が取り上げて、出向いて、庭にいた相方に手渡したのだった。相手方は花園由美子という名であることは、携帯の着信画面に表示されたのですぐに分かり、知人であることも見て取れた。
――あら、お久しぶり、お元気・・・
快活な相方の声がすぐに、沈むのが分かった。
――それで、どこを取ったの、そう大腸、そういえばアメリカに行ったとき、あなたひどく便秘してたわよね・・・
相方の親身になって寄り添うようないつもの声音が、悲痛な響きを帯びるのが分かる。
私は家の中に戻り、花園由美子という女性は大腸癌を手術して、なにやら相談事があって、相方に電話してきたのだなとおもいながら、二階の階段を上りはじめた。パソコンでインターネットやらメールを一通りチェックし、ワードで綴りつつある文章を少しの間練り、階下の居間まで戻った。すると、相方が携帯電話を閉じているところだった。私が庭で彼女に携帯電話を手渡してから、かれこれ一時間近くたっていた。相方の長電話は珍しいことではない。アロエ製品のネットワークを手がけているので、そのグループや仲間との連携、お得意さんの接客のためなどに、携帯電話は必需品で、長く話し込むことも多いのである。
花園由美子は近隣の市に住む六十五才のアロエのネットワークの仲間で、以前はよく一緒に勉強会などを開いていたのだが、あることがきっかけで、二人に感情的なわだかまりが生まれ、次第に疎遠になってしまった。そのうちに思い出すこともなくなって、気がつくと十年の歳月が流れてしまっていたことに、私が手渡した携帯電話の着信画面を見たときに気がついたのだという。一時は親密になり、アメリカに本社があるFLP社の視察研修旅行である「ふるさとセミナー」に一緒に出かけたこともあったほどだったのだ。そのとき花園由美子がひどく便秘していたことを思い出した。便秘は腸に悪く、放置すると様々な病気の原因になるのである。よく聞くと、まず検診で心臓付近に動脈瘤が発見され、手術でそれを除去したのだが、その治療の過程で大腸癌も見つかったのだという。すでに肝臓や肺にも転移していて、ステージ四なのだった。彼女は病気になっても相談や愚痴をこぼすひともなく、アロエ関係のグループのリーダーからはもう何年も連絡がない。ふと数年だけだが親しく交流した相方を思い出し、もしかしたら元気がもらえるかもしれないと電話したのである。
とある病院の看護師をしている花園由美子は神経質で癇性で、マイナス指向タイプで、よく愚痴をこぼしていたという。神経質な性格はストレスを溜めやすく、私の兄三人もやはり神経質で、長兄は肝臓癌から肺に転移、次兄は大腸癌、三兄は食道癌、になり、いずれも闘病の末他界している。ストレスは癌だけではなく、いろいろな病気を引き起こす元凶であると私は考えている。
まだ存命の姉ももう一人の兄も、物事に頓着しないタイプで、ある種おおらかで神経質ではないことは確かだ。私はというと神経質なところもなくはないのだが、おおむねおだやかに暮らしていて、嫌なことがあっても、次にはそこは避けて通るようにこころがけている。だから、意地が焼けたり、腹を立てたりすることは少ない。要するに、ストレスは溜めないようにしているのだ。愚痴はみっともないので、こぼさない。私はここ六年は、風邪一つひいたことがない健康体である。
花園由美子の夫は植木職人なのだが、数年前にハシゴから転落し腰骨を折って救急車で搬送された。手術は成功したが、長期の入院を余儀なくされ、莫大ともいえる費用が必要な上、夫は収入の道を絶たれた。看護師の仕事は夜勤もある激務である。そこに夫の介護と心労が重なった。医師に動脈瘤だと言われたとき、長いこと感じていた経済的不安、激務による肉体的疲労や情緒不安定、そこからくるストレスのせいだと、自分でも納得した。
相方も転移したステージ四では助からないな、と感じたという。
私にも癌のひとにはアロエを勧められないとよく言っていた。特に、アロエを飲めば癌に効くなどとは絶対に言ってはならない。それはそうなのだ。アロエはあくまでも健康補助食品であって、治療薬ではないのだから。食べ物だけでは摂れない、あるいは摂りにくい、不足している栄養素を補完して、身体の細胞を活性化し、免疫力を高めるものなのである。免疫力が高まれば、その免疫力で癌細胞を撲滅できる場合があるわけだ。アロエの大会などで、アロエを愛用して癌が消えたという体験談によく接するが、これはアロエが薬のように癌をやっつけたわけではなく、アロエが身体を健康にし、その結果免疫力が高まり、その免疫力のおかげて癌が消えたり縮小するということなのである。
前日の電話ではまだ語り尽くせないことがあり、また電話していいですか、と前園由美子がいうので、明日三時ぐらいなら、と返事したが、三時になってもこないので、やりかけていたトマトのビニル屋根の設置のつづきをやり始めていたところだったのだ。
――爆弾ジュースと言ったって、ゆみちゃん、分からないでしょ
と相方はつづけた。
――FLP社の蜂蜜は知ってるわよね、あの容器は二百㏄ぐらいなの、あれにアロエをたっぷり入れて、そこにプロポリスとポーレンを十個ずつ入れて、よく振って混ぜ合わせるの、それを三つ用意して冷蔵庫の中に保管しておくのよ、それが爆弾ジュース、アロエ爆弾ジュースとでもいった方がいいかもね、それを、朝昼晩に飲むのよ
私は相方と生活をともにするようになってから、朝と夕、アロエをコップ半分ぐらい、プロポリス一個、ポーレン三個、を必ず飲んでいる。相方は身体の血液は全部入れ替わるのに四ヶ月はかかるから、飲んで変化が表れるのはそれぐらいはかかるのよ、すぐに効用があるとはおもわないで、と言ったが、私の場合は二ヶ月を過ぎた頃から、明らかな変化を実感したものだ。何というか、身体の奥底から力がみなぎってくるような、とでもいったらいいのか。疲れなくなり、皮膚につやが出て・・・。
そして、その後加えて、プロテイン、アルギニンを摂取するようになった。プロテイン、アルギニン、とも、相方と二人で月に二缶は空けている。二人とも健康体なのだから、これだけアロエ製品を愛用していれば、ますますの健康が約束されることは間違いないだろう。鬼に金棒とは、こういうことをいうのだ、と私はおもっている。相方はよく、わたしは七十代はもちろんのこと、八十代の黄金時代を迎えるのよ、といって意気軒昂なのだが、私も負けずに、九十才までは現役で執筆をつづけると宣言しているのである。
――ゆみちゃん、爆弾ジュース飲んだからといって、癌がよくなるとはいえない、でも、もしかしたら、奇跡が起きてよくなるかもしれない、よくなった例をわたしはいっぱい知ってるわ、まず、自分はよくなるって決めるのよ、そして、絶対によくなるって、念じるの、ゆみちゃん、たった一回の人生じゃない、あなた、これまで人のために一生懸命生きてきたでしょう、でも、それじゃだめ、これからは自分のために、自分に賭けるのよ、癌なのだからもしかしたらダメなのかもしれない、でも、やらないでダメだったというよりも、やってみてダメなら寿命運命だったと諦めがつくでしょ、お金が大変なら、たとえ一週間でも十日でもいいから、やってよくなる方に賭けてみるのよ
相方の口調は熱を帯びる。ときに笑い、涙ぐみ、相手の話を聞くために、黙り、うなずき、感嘆し、相づちをうつ。そして、噛んでいい含めるように繰り返し、説得をつづけるのが分かった。話が長引くようなので、私は植えた柿の苗を見回ることにした。しばらくして、遠くからトマト畑の方を見ると、相方が身振り手振り話している姿が見てとれた。いつものことだが、心底昔の仲間に同情して、寄り添い、出来れば救ってやりたいと願っているのだなあ、と感じ入ったものである。
夕食のとき、花園由美子との電話の話になった。
――ゆみちゃん、声を上げて笑ったのよ、電話かけてきたときには、今にも消え入りそうな声で、水鳥さん、助けて、話聞いてくれる、なんていって、泣いたひとがよ
――ふーん
――そして、何だか気持ちが楽になって、身体に少しだけど力が戻ってきたような気がするって、だれにも打ち明けて相談できるひとがいなくて、あなたに電話して、本当によかったって・・・、わたし正直転移している癌はむずかしいとおもってるけど、励ますしかないとそれこそ必死だったわ、それで一時でもいいから元気だしてもらえれば、それでいいと、爆弾ジュースを一生懸命試してみたらって勧めたのよ、まあ、経済的なことがあるから、どうなるか、一応やってみるっては言ってたけど
――あなたも、なんだか、ガハハって、笑ってたね、ハハハじゃなく
――そう、アメリカにいったとき、あのひと気難しがりやで、なんでも四角ばってやらなきゃ気がすまないから、やることがのろいのよ、それでどこかで皆は待たされていたのよ、そしたらやっと来て、いきなり、出たあ、と言うのよ、何がってきいたら、あのひと便秘で何日も苦しんでたのだけど、トイレに籠もってて、皆を待たせてたの、それでやっとうんちが出たってことなの、五十センチも長いの出たって言ったので、皆で大笑いしたことがあったのよ、わたしそのことを思い出したから、さっき途中で言ったら、あら、そんなこと覚えててくれたのって、大笑いになったの、五十センチのうんちなんて言ったら、忘れるわけないでしょ、って言って、二人で笑いに笑ったってわけ
私は、笑いは人を癒やす力がある、一回の笑いは癌細胞を一つ消滅させる、という言葉をどこかで読んだことをおもいだした。
この話には後日譚がある。
花園由美子は相方に爆弾ジュースを勧められて、父親が残してくれた金の延べ棒をおもいだした。夫の介護、自分の大腸癌、経済的不安、などに追い立てられて、それまでは金の延べ棒があったなんて頭をかすりもしなかったのだが、相方と話しているうちに、ああ、そうだ、とふと脳裏をよぎったのだ。
父親は母が病死した後間もなく再婚したのだが、花園由美子は母を裏切り捨てたと憎んでいて、それもストレスの一因だった。しかし、その父親が死の間際に彼女を呼んで、何か困ったことがあったときにこれを売って用立てろと、金の延べ棒を手渡してくれたのだ。そのことをおもいだしたのである。
花園由美子は押し入れの奥にしまい込んでおいた金の延べ棒を探し出すと、やはり看護師をしている娘に、相方に電話で爆弾ジュースを勧められたことを話したのである。娘は、それはやってみるべきよ、とすぐに賛成した。娘は病院を休み、母親である花園由美子の面倒をみていたのだった。娘はさっそく換金してきてくれ、すぐにアロエジュースとプロポリス、ポーレンを買えるだけ注文してくれた。
――あなたにいわれたように爆弾ジュースを作って、飲んだのよ、
そしたら、すぐに身体の底からかっかっかっかと熱くなってきたの、こんな感覚ってはじめてだったわ、そして、身体に力が戻ってきたような感じがする・・・
そう相方に言ったという。もしかしたら、もしかするかもしれないわよ、と相方は嬉しそうに言ったが、そうかもしれないが、そうそう奇跡が起こるはずもなく、ゼロだった確率が、ゼロではなく、一二パーセントに上がったにすぎないだろう、と私はおもった。しかし、相方の電話は花園由美子というひとに生きる希望を与えたことは確かだ。
相方はいつも、なにかにつけて親身にならないではいられない人で、よくこうした人助けをするのある。