新型コロナウイルス考

 私の母親がこんなことを言ったことをおもい出した。

――わたしの一番上の兄は教員だったが、結核に罹ってしまったの。そのせいで、わたしの家は「肺病まけ」と言われるようになったわ。それで、本来なら周りの村に嫁入りするのに、それができなくなり、この開拓の村に来ることになってしまったのよ

 「肺病まけ」とは肺病の血筋だという意味で、要するに差別用語である。母親が言ったことは、兄が結核になったため家族が結核の血筋というレッテルを張られてしまい、母親はそれ故に貧しい開拓の村の父の元に嫁ぐことになったということである。

 どうしてこんな母親の言葉をおもい出したのかというと、新型コロナウイルス感染者や医療従事者への差別や偏見が広がっているという報道に接したからである。

 先日緊急事態を延長するという安部首相の発言のなかにも、新型コロナウイルス感染者や医療従事者に対する偏見や差別が広がっているが、そういうことがあってはならない、というくだりがあった。つまり、政権レベルで問題視されるぐらい酷い状況といってもいいのだろう。

 今も昔も、感染症に罹った人への差別や偏見は変わらないのだな、というのが私の正直な感想である。

 私が小学生だった頃のこと、集落の外れのある家の離れに、8畳一間ぐらいの小さな小屋があって、そこに結核の患者が隔離されていたものだった。そこには近づいてはいけないと、言われていたが、怖いもの見たさで、近所の遊び仲間と一緒にそこを訪れたことがある。上がり框があったのかどうかは覚えていないが、雨戸や障子戸はあったとおもう。障子戸を開けて、布団に横になっている男と何か言葉を交わしたことは覚えているが、どんな言葉だったのかは記憶にない。

――こんにちは

 とか

――よく来てくれたね

 ぐらいの簡単な短いやりとりだったのかもしれない。

 四十代ぐらいの年齢だったか、男は痩せ細り、頬骨が突き出、頬が窪んで骨が浮き立っていた。手首も枯れた棒切れのように細い。私は瞬時に、学校の理科室にあった人体の骸骨模型をおもい浮かべた。ただ、眼球が微かに動き生きた表情を浮かべているところが、理科室の骸骨とは明らかに違っていた。しかし、異様さは疑いようがなく、私も遊び仲間も二度とそこを訪れることはなかった。その人は半年後ぐらいに亡くなったことを記億している。

 妻帯者だったような微かな記憶があるが、男は結核になったがために世に疎まれ母屋からかなり離れた小屋に隔離され、孤独のうちに世を去ったのである。
 
 さて、新型コロナウイルスであるが、当初はキャンプ場は空間が広く、3密(密閉、密集、密接)にはなりにくいとの判断から営業をつづけたのだが、町の観光課からの電話で、4月30日から営業自粛したのだった。キャンプ場は営業自粛要請の業種には入っていなかったので、町の観光課からの電話は筋違いにおもえたが、今にして営業自粛は正解だったと認識している。なぜかーー

近親の者が、言うには、

――東京神奈川方面からの若いお客さんが多いのだから、無症状でも感染していてコロナウイルスを持っているかもしれない、そういう人から感染しかねない

――もし、感染したら、エライことになってしまう

――たとえキャンプ場ではなくとも、温泉とか、コンビニなどで、キャンプに来た人から感染したとなったら、大問題になることは確実だ

 それはそうだ。周辺では隣の大田原市では八十代の女性が一人感染しただけなのだが、近辺の町まで含めて大騒動に発展した。

 女性は一人暮らしなのだが、近隣に住む家族のプライバシーまで明らさまに暴きたてられる始末である。

 女性が感染したのは私も訪れたこともあるとあるホテル内にあるスポーツジムと温泉なのだが、女性が利用した日の利用者は360名にのぼり、そのすべての利用者に対する追跡調査が行われた。そして、そのホテルも含め、女性がよく訪れるスーパーやホームセンターなど周辺の店全てが消毒を実施するなど、てんわやんわの大騒ぎになったのだった。女性がよく自転車に乗って町なかを行き来していたことや、近隣に住む女性の家族の職業や家族構成なども人々の話題の俎上にのせられた。

 ホームセンターやコンビニに勤める知人に話を聞く機会があったが、どの店でもぴりぴり神経をとがらせて対応しているとのことだった。幸いにもその後感染者は出ていないのだが、広い地域に拡がった感染への恐れや大々的な対応や噂はそのうちに女性やその家族も知ることとなるに違いない。そのときの本人や家族の驚きや衝撃は想像に難くない。今後長いこといたたまれないおもいのまま暮らさなければならないに違いない。

 そういうことを考えると、何事も起こらないうちにキャンプ場を休業してよかったと改めておもうのである。

 さて、今回の新型コロナウイルス襲来によって、もたらせられたものはいろいろあるが、多くの人が言っているように、世は大きく変わるだろうと私もおもう。

 その大きな事の一つに、人が集まることをよしとしない風潮が広がったことが挙げられる。

 相方は手掛けているアロエのネットワーク関連で、月に数回埼玉県や東京などの首都圏に出かけていたのが、新型コロナウイルス感染のリスクを避けるため、集会のほとんどがインターネットでのZoomというオンラインシステムを使うことになったのだった。私と同年代は当初はZoomの使い方に苦労したようだが、やり方をのみこんでしまえばどうということはない。

 我が家から首都圏までは車と電車を乗り継いで、片道約3時間かかる。朝8時ごろ出かけて集会に出席し、帰宅は夜の7時頃になってしまうのが常だった。要するにほぼ丸一日かかったわけだ。

 それがZoomなら家に居ながらの集会出席なのだから、長時間の往復も電車賃もチケット代もいらない。コロナ騒動がなければこうはならなかったのだから、怪我の功名といえるかもしれない。

 私も連れられて埼玉県大宮や横浜市での集会に出席したことがあるが、1000人とか2000人規模の大会だった。今後はそうしたホテルやイベント会場での開催の多くはオンラインに取って代られてしまうに違いない。この流れは後戻りはしないとおもわれる。

 ところで我が民宿であるが、2月に一組入ったのを最後に宿泊客は途絶えた。3月のカナダからの予約はキャンセルされた。4、5月からの小中高生の農泊ツアーも全てキャンセルである。今後も当分宿泊客は見込めないので、これを機に民宿は廃業して、キャンプ場と農業でいこうと話し合ったのだが、先日、「GO TO キャンペーン」なるものを報道で知った。これは、7月下旬から始まるもので、宿泊代の半額を国が補助するという。コロナで落ち込んだ観光業の活性化を促すもので、このため1兆円余の予算が計上されたのである。半額補助されれば旅行に行ってみようという人は増えるに違いない。キャンプ場も宿泊なので、補助がでるものなのかどうか、今の時点では分からない。
 
 そして我が家の生業の柱である農業についてだが、グローバル化で外国から安い農産物が入ってくるということで、農産物自給率がどんどん下がってしまい、私はいざというときには危ういとみていたが、案の定、その危険性の一端が垣間見られることになった。

 相方が買おうとしたが、スーパーの棚に小麦粉がなかったという。それでネットでいろいろ調べてみた。日本の食料自給率は37%であるという。そして、小麦の自給率は12%なのだった。これは相当に低く、品不足はここに原因があったのである。コロナの影響で輸出国が自国を優先して輸出を制限し、物流が滞ってもいて、外国から小麦が入ってこないため品薄に陥っているとのことだった。

大豆に至っては自給率は6%にすぎないから更に酷い。これではコロナに限らず、何かあったら外国から入ってこないではないか。今後豆腐など食べられない事態が考えられる。幸い主食であるコメは自給率が100%近く、備蓄米が相当あるからいいようなものだが、米の最大輸出国であるインドや第三輸出国ベトナムではコロナで輸出を制限し始めたという。店頭で米の値段が上がっている由縁である。

 ということで、自給率が37%しかない日本の食卓が危うい崖っぷちにあるということが、今回のコロナ騒動で明らかになったわけである。安く輸入出来るからといって、自国の農業をないがしろにしてきた日本の政策は非常に危険だということである。

 周囲を見渡すとどこの農家も高齢化がすすみ、私と同年代か上の世代がほとんどで、若い人がいない。農家の後継ぎがいないので、耕作放棄地が増え、それも食料自給率を下げる原因にもなっているのだ。

 ただ、もしかするとコロナなどの感染症に弱いことが明らかになった都会一極集中が見直され、今後は地方や農村に住む人が多少は増えるのかもしれない。オンラインを使えば地方や農村でも都会と変わらない仕事が可能だからである。それに、食料安全保障の観点から、国も今後は農業をこれまでよりも重視して補助金などを増やすのかもしれない。そうすれば、若い人も多少は農業に戻ってくるのではないか、とおもう。

 5月末の時点で、コロナは収束に向かい国の緊急事態宣言は解除されたが、県を跨いでの行き来の自粛はまだ解かれてはいない。感染の第2波、第3波の襲来も予想される。派遣社員の雇止めや、飲食業やホテル旅館などの従業員の解雇などが広がっていると報道されている。

 倒産する会社も相当でているようだ。100年に一度の、リーマンショック以上といわれる不景気風が吹きまくるのかもしれない。

 「カンセキ」というホームセンターで買い物をしたが、ざっと見たところマスクをしていない買い物客が三分の一はいた。マスクをしていない人には自然近づかないようにする自分に気がついた。報道では、外出する人の94%がマスクをしているというから、田舎の我が町では感染者が出ていないので、切実感が乏しい故かもしれない。

 数日前、訪問客と応対する相方の声が二階まで聞こえてきた。

――花売り?

――安くしとくよ、茨城から来たの

――ダメだよ、マスクもしないで

――大丈夫よ、茨城のワタシの町じゃコロナに罹った人なんかいないから

――何言ってんのよ、茨城県は栃木県の3倍もかかっているじゃない、ともかくこのあたりじゃマスクしないと嫌がれるわよ

――マスクはポケットに入ってるわ

 あとで聞くと、五十代ぐらいの浅黒い顔をした女性で、手押し車に紫陽花の花など載せてやってきたという。近くまで何人かで車できて、分かれて売り歩いているようだとのことだった。

 ここまで記してきたことからだけでも、社会の変革の波がきていることは明らかだろう。その波がどの程度の大きさなのかは今のところ分からない。
 

 数ヶ月後、半年後か、一年後かに、やがてその全容が見えてくるに違いない。

 

2020年06月01日