歓喜

 小雨が降っていた。午前中から本を読んだりYouTubeを見ていてずっと座り放しだった。

 身体を動かそうという気持ちになって、気になっていた作業をすることにした。キャンプサイトへの道の上り口に砂利を敷くことである。土建屋さんに設置してもらった生コンの先の急坂に、私が車の轍分の幅にコンクリートを入れたのだが、土を掘ってそこにコンクリートを流し込んだだけだったので、車が何台か通っただけで砕けてしまったのである。それでも車の滑り止めにはなっているので用は足りているのだが、見た目もよくないし、より完全で安全になるように砂利を入れたいと思っていたのだが、忙しさにかまけて数か月もそのままにしていた。

 外に出てみると、幸い雨はほぼやんでいた。丘の中腹にあるトイレの隣に積んである砂利を、そこまで往復して5台運んだ。

 相方は人生学習塾である「酒井塾」出席のために、埼玉に出かけていた。時計を見ると4時半で薄暗くなっている。7時頃に帰宅するのだ。彼女が酒井塾の時にはほぼカレーライスを作ることにしていた。一輪車を置き、坂のコンクリート部分から畑に降りて、ニンジン畑のニンジンの列を物色していると、中でふさふさした大きなニンジンの葉が目についた。葉の根元を見るとニンジンの頭の部分が見え、いかにも大きそうである。私はその根元の茎の部分を両手で掴み、ぐいとひいて抜きにかかる。手ごたえがあって、土のついた大きなニンジンが姿を現した。

 長さ20cmちょっとの大きなニンジンである。頭の部分は直径5cmぐらいはある。カレーに入れるのは、この一本で十分だ。薄暗くなっていても、色もよく、いかにも美味しそうだ。なにやらそこから後光がさしているかのようで、見入っているうちに、目に異変をかんじた。同時に、心臓の後ろのあたりがふわっと温かくなった。いろいろなおもいが蛍の光のようになって私のこころに矢継ぎ早に浮かんではかすめていく。

――いいニンジンができたなあ、きれいだなあ、力強いなあ、天の恵み、有難いなあ

 私は嬉しくなった。手や足も温かくなってくるのを覚えた。

 ここ二、三日読書やYouTubeを見て過ごしていた。

 相方から勧められたジョー・ヴィターレ「奇跡を起こす目覚めのレッスン」
を二度読んだ。YouTubeで「マーフィーの法則」2時間50分のものを何回かに分けて見た。天風会の講演1時間50分のものは一気に見た。いずれも潜在意識に関するものである。人が思い考えたことは潜在意識に入り、その通りに実現される。否定的に思い考えるとその通りになるから、願いは叶えられない。そういうことが分かりやすく説得力を持って述べられていた。また、感謝ということの重要性も繰り返して言われていた。私は感動を持ってそれらを読み、映像で見ていたので、感情的にかんじやすくなっていたのは間違いない。

 前の晩、神奈川県にいる娘としばらくぶりにメールのやり取りをしたこともあって、亡妻のことも脳裏をかすめ、

――妻には世話になった、長い介護だったが、そのおかげで自分は成長できたのだ、ありがとう、しばらく神奈川に行っていないが、これからは年に一、二度は行くことにしよう

 「目覚めのレッスン」には、感謝することを紙に列記すると効果がある、とある。あなたは神ではないが、あなたの中に神はある。あなたは神にはなれないが、神と一体にはなれる。感謝の念を抱いたときが神と一体になれるときなのだ。そのとき歓喜がくる。また、自身の能力が最大限に発揮できるのだ。そうあったのである。

 私は感謝している人や事象を紙に列記はしなかったが、脳裏に次々におもい浮かべ、感謝を繰り返したものだが、ニンジンの美しさ、しなやかさ、力強さ、を目の当たりにした瞬間、歓喜とともに、感謝のおもいがあふれ、感謝の事象が浮かんでは矢継ぎ早に通り過ぎていったのだった。私は嬉しさのあまりに感極まる状態になったのである。

 私は目頭にじわっと涙が盛り上がるのをかんじながら、自分の丈夫な肉体に、自分を生んでくれた母親に、父親に、娘に、息子に、今住んでいる土地に、同居している相方に、ありがとう、ありがとう、と独りごちた。それから抜いたニンジンを持って、道に上がり、一輪車の取っ手を持ち上げた。

2019年12月07日