運気が上向きのわけ
私は毎日、次のような言葉を口の中でつぶやいている。一つ二つのこともあれば、その全部をつぶやくこともある。
――強く、清く、正しく、気高く、美しく
――明るく、楽しく、朗らかに
――愛、感謝、歓び、希望
――ついてる、嬉しい、楽しい
――ありがとう、愛してます、ごめんなさい、許してください
――日々あらゆる面で、私はますます良くなっている
特に、夜眠る前に口の中で言うことを大切にしている。
前二つは中村天風(哲学者)の言葉、三つめは私の生活信条、四つ目は斎藤一人(何度も日本一の高額納税者になった実業家)が常々口にしているという言葉、五つ目はハワイのオポノポノの言葉で、これを口にしているだけで幸福や成功が約束されるという、六つ目は心理学者で哲学者であるエミール・クーエの言葉である。
冬が到来し、雑草との格闘が一段落し、来年のキャンプの季節に向けて、キャンプ場の整備を始めた。
――美しい田園風景が見下ろせるファミリーキャンプ場を開設しました
というのが我がホームページ「柿農園」でのうたい文句なのだが、観光地のようなくっきりとした紅葉ではないものの、キャンプ場設置の丘の上で前に拡がる山並の鮮やかな紅葉を見下ろし、充実と高揚を感じながら木の間伐作業をしている。こんなきれいな環境で生活できるなんて、感謝だなあ、とおもわず一人ごちる。
ところで最近おもいもかけない出来事があった。
今まで田んぼの米作りを頼んでいた農家の主が突然訪れたのだ。相方が玄関の外で応対したのだが、軽トラックのエンジン音が遠ざかるやいなや、
――ねえ、大変だわ
と、いう声がして、二階に相方が上がってきた。
――○○さん、もう米作りやれない、っていうのよ
――ええーっ
――困ったわ、どうしたらいいかしら
――うーん、やれないっていうのをやれとは言えない、仕方ないんじゃないか、他をあたってみて、やってくれる人がいなければ米作りはやめると決めればいい
――そうねえ
聞くと、親がもう二年も入院中、本人も最近とみに足腰が痛い、加えて奥さんも同様でことに米の苗つくりが大変でもう他の家の分までは作りたくないと言い出したのだという。
――○○さん確か六十ぐらいだよね、まだ高齢とは言えないな
――今まではお子さんを三人も大学に入れて経済的に大変だったのが皆卒業して働きだしたから、余裕が出、もうそんなに苦労して稼ぐことはない、と考えたのかもね
我が家の田んぼは70aしかない。米作り小農家なのだ。毎年30kg袋が120体前後しか獲れない。30kgが6500円として、約66万円にしかならないのだ。
自分で米作りをするのにはトラクター3~500万円、コンバインも同じぐらい、もみすり機数百万円、軽トラック100万円、要するに1000万円程度は最低必要なのだ。つまり、自分で作ってはとても採算がとれないのである。だから、機械をもっている他の大きな農家に頼んでいるのだが、用水分担金や肥料金などを合わせると米出荷代と同等になってしまい、作ってもへたをすると赤字になるのである。それなのに何故作るのか。それは作らなければ土地が荒れるし、周りにも迷惑がかかるからなのだ。
この地域に限らず近隣の地区でも、荒れた田んぼをよく見かける。高齢化と国の大農家優先の政策もあって、米作りをやめる農家が多くなっているのである。二人で話し合い、引き受け手がいなくなったのだから、これを潮時に米作りはやめる方向で検討しようということになった。
その後、まほろば温泉のそばにある農産物直売所「ゆうゆう直売所」に出向いた。最近相方がここに農産物を出荷できるように登録をしておいたのだった。何年もどこか出荷できないか探していたのだが、どこも断られてしまい、やっと念願がかなったのである。
商品の包装、値段の付け方、店頭での並べ方、分からないことだらけで、不安を抱いての初出荷だった。しかし、案ずるよりも産むがやすし、である。包装は用意していったもので不都合はなく、値段は他の人が出した同じ商品を見習えばよく、バーコードは店員がその場で作成してくれ、並べ方は空いているところに他の商品を見習えばいいのだった。
今回は六個入り干し柿のパック500円を五つ、300gの乾燥芋250円を六つ、展示した。結果的に、干し柿4パック、乾燥芋1パック売れたことが分かった。次の日はあまり売れなかった乾燥芋は200円に値下げして並べ、新たにアロエベラ250円を10枚と200円のを4枚ならべた。試しにと持って行った大きなカブ100円を2個並べたところ、すぐに中年の男性が2個とも買ったので、私はおもわず笑ってしまった。
店頭で様子を見ていると、どうやら葉ものはよく売れるようなので、次はほうれん草や春菊、水菜などを並べてみようと話し合った。
かくて、農産物の初出荷は上々の滑り出しと言えそうである。店員はパートで毎日代わるらしいが、どの人も親切で、いろいろトラブルがあると聞いて懸念を抱いていたのが、どうということはなく何とかなりそうなのでホッとした。
出荷がかないそこそこ売れそうなのがわかったので、作物つくリにも張り合いが感じられるというものである。
気分を良くして、直売所からの帰りの道で、
――妹さんのところへ寄って行こうよ
と、私は言った。もしかしたら、米作りを頼めるかもしれない、というおもいがよぎったからである。相方も同じおもいがあったようだが、五、六年前に似たような状況のとき断られたので、頼むわけにはいかないとおもっていたという。米作りを断られた話をし後は世間話をしただけで戻ってきた。私は反応がなかったので、農協や町役場の農林推進課に相談し、それでも引き受け手がなければ米作りは諦め、米は買って食べればいい、そう腹をくくるべきだと相方に進言したのである。
しかし、である。帰宅して間もなく、相方の妹さんから電話がかかってきた。米作りを引き受けてもいい、と旦那さんが言った、と。相方は喜びありがとうを何度も繰り返していた。
米作りを断られてしまったと話せば頼まずとも、引き受けてくれるかもしれないという私の目論見は、その通りになったということになる。私は内心でしてやったりの気分だった。
――困って来たのだろうが、言い出せずに帰ったのだろう。姉さんとしては今まで守ってきた土地を荒らしてしまうのは忍び難いだろう、俺としても姉さんの力になってやりたいから引き受けるって言ってやれ
そう言ったのだと、妹さんは相方に嬉しそうに、またホッとしたように電話で知らせてくれたのだった。
ここ数年、我が家はいいことずくめで、運気が上向き続きである。これは相方と共通した認識だ。
何故、我が家は運気が上向きなのか――
二人とも常に前向きに生きている。
身体の健康は心が健康でなければかなえられない。身体と心は一体なのだ。どちらが欠けても健康にはならない、との教えを信じて、身体のために常に十分な栄養を、ことにビタミン、ミネラルなどの必須微量栄養素を摂る。よく眠り、良く働く。マイナスのことを言わない、考えない、思わない。潜在意識をいつもきれいにし、汚さない。これを実践してきた。
冒頭に記した、私が常々口にしたり思ったりしている言葉は潜在意識をクリーニングするためのものなのである。
潜在意識がきれいになれば健康は保たれるし、願望も叶えられるのだ。マイナスのことを口にしたり考えたりすれば潜在意識は汚れる。潜在意識が汚れれば健康は損なわれる。なぜならば、潜在意識は宇宙と繋がっていて、その宇宙からエネルギーを貰い、そのエネルギーを絶えず身体の各部に供給しているからだ。身体の臓器はひとりでに動き働いているわけではない。眠っているときでも、潜在意識が絶えずエネルギーを送って動かしているのである。だから、潜在意識が汚れれば、曇った日に太陽光が地表に届かないと同じで、身体に供給されるエネルギー量がぐっと減ってしまう。身体がガソリンを供給されない車と同然となってしまうのだ。そうすれば身体が不健康になるのは理の当然だろう。
潜在意識を目で見ることはできない。目に見えないので、人生で大きな役割を担っている潜在意識の存在自体を知らないまま生涯を終えてしまう人は多い。潜在意識の構造や役割を知っていると知らないのでは、雲泥の差なのである。潜在意識を知って、上手に使えば人生を幸福に導くことができる。潜在意識を知らなければ使いようもなく、行き当たりばったりで生きるしかない。行き当たりばったりでは潜在意識をクリーンに保つことは出来ない。だから成功も出来ないし、健康を保つことも出来ないのである。
ところで相方は私とは少々違うが、潜在意識を意識した生活を送っている。どこが違うのかというと、彼女は日々セルフハグを実践しているのである。
――洋子(自分の名)、愛してる、とっても愛してるわ
と、自分の胸を抱くように優しく手をあて、折に触れて自分に語り掛けているのだ。
――洋子、これまで大変だったけどよく頑張ったわね、偉いわ
と語り掛けることもある。
このセルフハグも潜在意識をきれいにしたり活性化させる作用があるのである。
二人とも潜在意識を意識し、それを利用しているので、我が家の運気が向上しているのである。いいことばかりが起こる由縁である。
11月は我が民宿に毎週末お客さんが入った。
どこにも出荷先がなかったのに、農産物直売所に出荷がかない、そこそこ売れることが分かった。
米作りが出来なくなる危機に陥ったが、その日のうちに後釜が見つかった。
これらは私と相方がというよりも、二人の潜在意識が願望を叶えてくれたということなのである。そう私は考える。