私の瞑想法
布団に入って、気持ちが落ちついた頃、ゆっくりと心の中で声を出して、繰り返す。
――愛・・・、感謝・・・、歓び・・・、希望・・・
これは、私の日々生活していく上での信条のようなものである。
以前はただ漫然と行き当たりばったりに生きていて、真面目ではあったが、いつも何かに追い立てられて、心が安まることがなかった。
これらの言葉には力がある。その力は私を癒やし、快適にし、力づけてくれる。心の中でとなえているうちに、私の気持ちはより一層静まり、落ちつき、揺るぎなくなっていくのである。
――日々あらゆる面で、私は益々よくなっている・・・、
と、繰り返して口の中で、つぶやくこともある。ゆっくりゆっくり二十回は繰り返すことにしている。そうしていると、本当に自分がそうなっているように実感できるのだ。私は心の底からリラックスし、手足がほんのりと温かくなり、そのうちに眠ってしまうことが多い。
そして、この一年ぐらい前からは、自分の胸に手を当て、
――清昭(私の名)の、心、身体、魂、を愛している・・・、
とか、
――清昭を愛している・・・、
と自分に言い聞かせる、ということも取り入れている。これは、要するに、自分を認め、受け入れ、大事に思っている、ということの表明なのである。
これらのことは、初めて聞いたひとには奇異に感じられるかもしれない。そういうひとに説明して分かってもらいたいという気持ちはあるが、説明してもなかなか分かっては貰えないだろうとも思う。
別な言い方をすると、これらのことは説明して分かることではなく、やってみてはじめて分かることだからである。頭で理解することではなく、実践してはじめて肉体で体得できることなのだ、といってもいい。
付随して呼吸ということがある。
座禅とか瞑想とかに興味があり、勉強し、実践したひとは腹式呼吸ということを学んだはずである。
私の場合は、布団に入って少ししたら、一、二、三、四、で息を吐き、息を吐ききったところで肛門をきゅっと締めるのだ。そして、五、六、と息を吸う。このとき呼吸は腹式で、吐くときはお腹を凹ませながら、吸うときはお腹を膨らませながら、空気を吐いたり、吸ったりするのである。これをゆっくりゆっくり五、六回行う。そして、肛門を締めるのはそこまでで、あとは呼吸だけ自然に続けるのだ。そして、先に述べた言葉を心の中で言い始めるのである。
どうしてそんなことをするかというと、身体にいいからである。
もう二年半ぐらい続けているが、私はすっかり健康になった。身体に痛いところもないし、風邪をひいたことすらない。
現役時代は、毎年必ずといっていいほど風邪をひいたし、半年ぐらい治らなかったことすらある。あちこちが痛み、いろいろな薬を服用し、ビタミン剤などのサプリメントを愛用したが、効いたという実感はまるでなかった。
腺病質で、胃十二指腸潰瘍で四度入院、椎間板ヘルニアで数年通院、と医者には大分世話になった。しかし、このところは医療機関を訪れるのは検診を受けるだけにとどまっている。
あるとき、ひとと話していて、
――身体だけは丈夫ですから、
と、ふと言葉にしたことがある。
以前だったら考えられないことで、ああ、自分はそんなことを何気なく口にするぐらい健康になったんだ、と感慨があったものである。
実際、農業は肉体労働だから毎日それなりの力仕事をするが、若い頃のように疲れないし、疲れても休めば回復するのである。
私の瞑想法は、古今東西の思想家、哲学者の本を読み、そのうちの六人の思想哲学を咀嚼吟味し、私なりに解釈、色づけして、取り入れ、自分のものにしたのである。
ユング、エミール・クーエ、ブリストル、ネヴィル・ゴタード、中村天風、酒井満、がその人である。