第六感
我が家の愛犬モモは猛犬の部類に入るかもしれない。下野新聞の「譲ります」のコーナーに載っていたのを、益子町まで片道一時間かけて貰ってきたのである。その頃、屋敷内外で不審かつ不穏な事が起っていて、用心の意味もあって、飼うことにしたのだった。
不審かつ不穏な事とは、竹藪のタケノコが十本前後が鋭利な刃物の切り口で、多分刈り払い機だとおもうがなぎ倒されていたことや、家の裏の壁に土の塊をぶつけた跡が残っていたこと、裏手の雑木林の松の木数本がノコギリらしい切り口で倒されていたことなどだ。この三つは私が相方の家で同居して間もなく起こったことである。それ以前にも、屋敷周りに置いてあったものがなくなったことは両手の指の数を上回るという。
私はタケノコがなぎ倒されている様を見たときは肝を冷やして、警察に届けた方がいいと言ったものだが、相方はタケノコを道に引き出して、きちんと並べて、
――こうしておけば、やった人は何かを感じるでしょうよ。タケノコなんてたいしたものじゃないし、ま、今回は事を荒立てないことにするわ
と、冷静に対処したものだった。
ところでモモは帰りの車の中で、私の膝の上で眠ってしまうなど、愛らしい子犬だったが、大きくなるにつれて、オスの親犬の甲斐犬の血筋の性質が色濃く反映されて、獰猛性を露わしてきた。餌を与え散歩をし、力ずくで力の差を徹底的に分らせてある私には従順なのだが、力が弱いと見て取って相方にはなめてかかるのだ。可愛がるつもりで出した手を相方は三度ほど噛みつかれている。
普段は穏やかな顔をしているのだが、野生動物特有の狂暴ともいえる本性を見せることがあるのだ。例えば餌を確保しようとするのか、投げ与えた餌が届かないので拾ってやろうとしても、奪われるとおもうのか噛みつこうとする。こういう時の顔は歯をむき出しにした獰猛な表情になるのだ。また、犬小屋のそばに木製の台を設置してあるのだが、人がそこに座ろうとしたりすると怒ってやはり歯をむき出しにする。これは自分の縄張りを守ろうとでもする本能の発露なのだろう。そして、しょっちゅう遠吠えをするのだ。口を空にむけて、ウォー、ウォー、ウオオー、というように、延々と吠える姿は狼そのもののようである。場合によっては小一時間も吠えつづける。都会ならたちまち苦情が殺到するだろうが、幸い両隣は二百メートルは離れているし、裏手は丘でその裏は断崖、前方は田畑が広がり、その更に前方は丘並である。それに近隣に犬を数十頭飼っている家があって、ときどきその犬が五六頭脱走してうろつきまわっていたりする。そういう土地柄だから、苦情がきたことは一度もない。
ところでモモは体重約十一キロの中型黒犬である。私はデモンストレーションの意味で、たまにモモをつれて村中を歩き回ることにしている。モモはもともとは優しい性格なのだが、ときに長い赤い舌を出しなから、私を力強く引っ張る姿は、出会った人には獰猛狂暴犬に映るに違いない。引いているのは私なのだが、モモに私が引き回されているように見えるかもしれない。
夜ごとに響き渡る遠吠えや、その狼のような風貌は村中に知れ渡っただろう。以後は我が家の屋敷内外で不審な事が起こったことは全くない。相方は何度も噛みつかれたものだから、もう少しおとなしい犬ならよかったのにと言うが、私は、
――番犬としては最高の犬だよ、今まで家の周りで変なことが一杯起きたけど、モモが居るようになってから平穏そのものになったもの。もし、空き巣狙いが下見に来たとしても、犬小屋とモモの姿を見たら諦めてしまうとおもうよ。我が家に悪さをした輩も、モモを恐れてもう近づかないだろう
と、言った。
前置きが長くなってしまったようだ。
本題に話を進めよう。
数日前、モモを連れて裏手の丘の上に行ったときのことである。楓林に入って間もなく、モモが急に右手の篠藪の方に行こうとする。私は綱を強く持って引きとどめながら、そっちの方をうかがう。そのあたりには小鳥がいたり、小動物の糞を見かけるので、ときには猫とか狐やハクビシンの類がうろつくのだろう。しかし、何も見えない。物音もしない。何もいないよ、とモモに言い、引っ張ろうとするが、尚も凄い力でそっちに行こうとするのだ。それを強引に引っ張って、いつものコースを歩いて、丘の尾根の小道に出た。すると、遠くに軽トラックの白い車体が見えるではないか。ここで人に出会うのは数か月に一度あるかないかである。モモがさっき察知したのはあれか、とおもい、近づいていくと、我が家の土地の地続きの雑木林の中に人影が見え、やがて道に出てきたので、こんにちわ、とあいさつした。
モモが察知した場所からそこまでは、五百メートルはある。途中篠藪はあるし、灌木やガサヤブが連なっている。私が気配も何も感じなかったのは当然だろう。しかし、モモは足音でも聞きわけたのか、あるいは人の気配を感じたのか、明らかに篠藪や灌木の五百メートルも向こうから人のいることを察知したのである。モモは飼い犬なのだから、野生ではない。しかし、多分に野生的で、勘が鋭いということなのだろう。さすが、と私はおもった。
人間にも動物にも五感が備わっている。目は視覚、耳は聴覚、鼻は嗅覚、舌は味覚、皮膚は触覚、の五感である。それ以外に、直観とか、予感とか、予知、勘、何となくぴんとくるというようなこと、人の気持ちが読み取れるというテレパシーなど、五感で感じ取るものではない、第六感とか第七感と呼ばれるものがある。
犬の嗅覚や聴覚は人間の何倍も鋭いという。第六感、第七感もそうなのだろう。
人間の五感も第六感も元々はかなり高い能力があったのだが、文明が発展し、いわゆる文化的な生活をするようになったため、使わなくなった感覚は退化して低くなってしまったのである。しかし、なくなったわけではないので、訓練次第で能力をアップすることは可能なのだ。例えば、電車の中で遠くの人の話し声を聞き分けるよう毎日努力していると、次第に何を言っているのか分かるようになるとか、目にしても、遠くの風物を見るように訓練していると、近視が改善するとか、目を閉じて物に触って何か言い当てるということも、練習次第で分かるようになる、というように。
ところで、私は、魔術とか、透視とか、霊感、テレパシーとか、普段は考えたこともなく、それほど関心もなかったのだが、否定派でもなかった。そういうものは信じる人には有効だろうが、信じない人には働かないだろうな、となんとなくおもっていた。要するに、私はそういう世界とは遠いところにいたのである。
ただ、ここ数年相方の影響で、哲学書を読む機会が増え、関心を持つようになった。
そして、おもうことはもっと早く関心をもつべきだったということである。なぜならは、人や人の人生を決定ずけるものは、五感で感じることばかりではなく、むしろ五感を超えた、あるいは五感では感じられない領域が多く関わっているということが分かったからである。
振り返ってみると、人生の重大ともいえる転機に下した私の決断は、例えば結婚にしてもいろいろ考えた末ではなく直観的な閃めき、勘で決めたのだった。五十三才のとき、妻の介護のため教職を辞めることにしたのも、栃木に移住したのも、妻の死の直前のとき延命治療をやめることにしたのも・・・。要所要所での決断で、ほぼ即断だったのだ。そして、それは振り返ってみて正しい判断だったことが分かる。要するに、ああでもないこうでもないと考えに考えた末ではなく、迷わずに決め、即実行したのだから、直観、勘、であり、これは潜在意識がそうしたといえるのである。
そういうこともあって、私はこれまでよりもより深い関心を持って、潜在意識や五感を超えた領域にある透視、テレパシー、霊感、などについての書籍を読み漁っているところである。
ところで、私は子供の頃こんな経験をしている。
小学校五年生だったとおもう、実家の裏庭で友達数人と卓球をしていた。審判役が一人、あとの数人が順番に対戦していく。対戦を待っている間、対戦している二人のうちどちらが勝つか、当てっこしようということになった。十五回一セットである。
私の番になったとき、私はどちらが勝つか次々に当てていった。十回ぐらいまでいったとき、友達がオーッというような驚きの声をあげた。全部的中したからである。それでも私は当てつづけ、十二回のとき外れたが、十五回のうち、十四回を当てたのだから、九割以上の確率で的中したことになる。あきちゃん、すげえなあ、と友達が口々に言うのを、ぼーっとした気持ちで聞いた。なんでこんなに当たるんだろう、と自分でも不思議な気持ちだった。
これと同等の確率で二度言い当てることが出来たが、あとは確率がぐっと落ちてしまった。なんだか頭が疲れて重くなってしまい、それまでは対戦の前にぱっどちらが勝つか即座におもい浮かんだのに、急におもい浮かばなくなってしまったのである。するとこの言い当てゲームに対するやる気もなくなって投げやりになってしまった。これでは当たらなくなるのは当然である。
今改めて振り返ってみると、初めのうちは何のおもい入れもなく、構えることもなく、ただ心におもい浮んできたことを次々に口にしていったのである。しかし、当たりつづけ、友達が驚きの声をあげるに及んで、あれ、とおもい、次いで当てるぞ、当てなければならない、というような気持ちが芽生え、すると焦りが生まれ、その気持ちや焦りが邪魔して、それまではぽっと浮かんできたものがみえなくなってしまい、同時に急に疲れが台頭してきたようにおもう。
要するに、最初は心が「無」の状態だったのに、意識しはじめたことによって、色気というか邪念雑念が生まれ、それが私の予知能力を曇らせ、当たらなくなってしまったのだろう。
何人もの哲学者や心理学者の著作を読んでみたが、私が子供の頃示した予知能力は誰でも持っているものだという。ただその種の能力は人によって強弱があり、現れ方も違う。また、訓練次第で能力を高めることも可能だとあった。
私の場合は自分の邪念雑念によって、能力が減殺されたのだが、こうした能力は、周囲にそんなものあり得ないという否定的な人がいたり、嘲笑する人がいたりすると、その影響をうけて、ぐんと成績が下がってしまうという。逆に、同調者が多く、否定者がいなければ成績はあがるという微妙なものなのである。
ところでその後私は予知能力を使ったり、磨いたりしようとしたことはない。ただ、第六感を磨く訓練はしているし、その大もとにある潜在意識は今後の人生に有効に生かすべく、誘導自己暗示法を日々実践している。
さて、先に発表したエッセイ「願いを叶えるには」で、潜在意識を使って願望を達成するために、自己暗示をかける方法を記述したのであるが、ここでは「セルフハグ(自分を愛する)」について述べたい。これも、潜在意識を使う方法である。
セルフハグを以後はハグとするが、自分自身に対して、愛しているということを小声で言ったり、念じたりして、言い聞かせるのである。するとどうなるか、人によっては数日、数週間、数か月という違いはあるが、自分あるいは家族、周りの人にいいことが起こり始めるのである。例えばそれまで優しくなかった配偶者が優しくなったり、嫁姑の関係がよくなったり、引きこもりの子が部屋から出て一緒に食事をするようになったり、とか。これは、人だけではなく、例えば故障していた電化製品が急に直って動き始めるというような不思議な現象も起こるのだ。
つい昨日起こったことだが、我が家の電話のFAXは以前から調子がよくなかったのだが、だましだまし何とか使用していた。しかし、ある保険会社から大事な書類を送ると電話があったのに、「詰まった紙を取り除いてください」との表示が出て、動かなくなってしまった。
中を開けてみると給紙の部分に埃や近くにあった枯れた花びらの欠片が入っているのが見えた。それをきれいにして、リセットしたところ、連絡があった書類は受け取ることができたので、修復したと喜んでいたところ、すぐにまた動かなくなってしまい、何度リセットしても同じ表示がでる。また、入念に電話機内部を掃除した。しかし、同じ表示がでるばかりなのだ。保険会社に入金しなければならない書類が届くことになっていて、それが見られなければ振込先の情報が分からない。やっぱり新しい電話機を購入しなければならないのかと半ば諦めていた。それが一昨日のことである。
その間、相方も盛んにハグを、FAXは直る、という言葉も加えて、やっていたという。勿論私も床に就いてからと朝方毎日ハグをやっているのである。
そして、今日昼過ぎ、昼寝から覚めて電話機を確認すると、表示が「詰まった紙を取り除いてください」から、「インクフイルムがなくなりました」に代わっているではないか。急いで新しいインクフイルムを入れてリセットすると、「FAXが届いています、紙をセットしてください」という表示がでた。紙をセットすると、音声案内で、「FAXを全て印刷するには、コピーボタンを押してください」という。コピーボタンを押すと、紙が動き始め、保険会社からの書類がコピーされて出てきた。何十回も試みて作動しなかったFAXがどこでどうなったのかさっぱりわからないが、一夜明けて、電話機が勝手に動き始め、修復してしまったのだ。こういう現象をハグを実践する身としてはこう理解している。日々ハグをやっていると、潜在意識が活性化される。潜在意識が活性化すると、シンクロニシティが起こりやすくなり、意外な、おもいもかけないようないいことが起こるのである。シンクロニシテイとは哲学者ユングが提唱した概念で、日本語で言うとすると、意味のある偶然の一致とか、共時性という。個々の潜在意識は宇宙と繋がっている。要するに、潜在意識は他の人の潜在意識だけではなく、動物でも、物でも、電化製品でも、この世のありとあらゆる全てのものと繋がっている、と考えるのである。
ハグなんてバカバカしい、信じられない、という人にとっては、FAXが直ったのは単なる偶然の現象にすぎないとおもうに違いない。しかし、私は同じ偶然でも、私や相方がFAXの修復を願ってハグをしていたのだから、単なる偶然ではなく、FAXの修復とハグは「意味のある偶然の一致」だと理解するのである。ハグをやっていると、このようなことがよく起こるようになることは、ほかの方々によって多くの事例が発表されてもいて、私がたまに出席する「潜在意識セミナー」では、その体験談が三冊の冊子にまとめられて発売されたぐらいなのである。
最後に、第六感に関することは、時空を超える例を一つ挙げて、終わりにしたい。
相方がアロエジュースのネットワークを手掛けていることは再三記述しているが、そのネットワーク関係のあるリーダーの方がアメリカから、七十名が集まっているグループにむけてメッセージを送るという。相方も埼玉で開かれていたそのグループの集会に参加していたのだ。午後の二時かっきりに集会のまとめ役の方にメールが入った。メッセージを送ったという合図だった。メッセージとは「愛のメッセージ」とだけ告げられていた。「愛のメッセージ」とはどんな内容なんだろうと、皆かたずを呑んで待っていた。すると、まとめ役の方にメールが入った瞬間、相方の手足がモアーという感じで熱く火照った。一緒に参加した連れの女性に聞くと同じように手足が火照ったという。周りの人も同じだと口々に言っていた。その後、言葉のメッセージがあったのだろうが、アメリカはほぼ地球の裏側である。アメリカからメッセージを送ったというメールとともに、リーダーの愛のパワーかエネルギーが瞬時に数千キロの距離を超えてグループの面々に届いたことは明らかで、驚きである。
ちなみに、このリーダーは楚々とした美人であるが、若い頃はダンプカーの運転手をしていたこともあるというから、元々は男勝りの性格なのかもしれない。しかし、偏食家でひどいアトピーを患い、糖尿病にもなり、日本の病院では治らず、アメリカに渡り、自然食療法によって長期間かかって治癒したという。糖尿病も重く、手の指の一本が壊死してしまい、ないのである。そのころアロエジュースに出会ったことがきっかけで、ネットワークで成功したのである。今では、アメリカに別荘を持ち、日本と行き来して生活している。ひどいアトピーの頃の写真を見せてもらったことがあるが、それこそお岩さんの幽霊に近いような、現在の美人顔からは想像もできないような顔だった。その顔が離婚原因になり、旦那さんから、
――幽霊のような女となんか、一緒にいられない
と言われたという。そのリーダーの方はその言葉に発奮し、ばねにした。
――よーし、後で別れたことを後悔するぐらいに成功して、いい女になってやるぞ
と、心に誓ったのである。
そして、今ではアメリカだけではなく、ドイツなどヨーロッパの病院や研究所など訪問し、健康に関するデータなど収集し、世界を股にかけて活動している。
私も講演を聞いたが、豊富なデータに裏付けられた健康に関する話には説得力があり、とても参考になった。