新しい風
農家民宿を始めて、小中高校生が我が家を訪れるようになって、これまでとは我が家の空気が一変したような気がする。
我が家は相方が健康補助食品のアロエジュース関連のネットワークを手掛けている関係で、普通の家よりは訪問客が大分多い。しかし、そのほとんどは私と同年代で六七十代である。
それが小中高生という十代のとびきり若い世代が、それも多人数が来るようになったのだから、世界が一変したと感じられるのは当然だろう。
我が家に農泊体験にくるのは、大田原市のツーリズム社が主催する農業体験ツワーの小中高生である。
大田原市のどこかの体育館や公民館で入村式が行われ、車に3~5名に分乗してそれぞれの受け入れ農家に分散し、1~2泊の農業体験後にまた同じ場所に集合、退村式が開かれる。そして、バスで都会に帰っていく、というスケジュールなのだ。一校が200名以上のときもあれば、60名ぐらいのこともある。
受け入れ農家の必須要件として、車での送迎がある。我が家の乗用車は「アクア」で五人乗りである。だから、運転手を除いて、生徒を最大四人しか受け入れることが出来ない。四人のときは相方が迎えに行き、私は家で待機ということになる。
――いやあ、退村式のときは泣きの涙の別れになるのよ
そう聞いて、ぴんとこず、「?」と思ったものである。一泊や二泊の滞在にすぎないのに、涙の別れなんて大袈裟な、と感じたからである。
しかし、受け入れ生徒三人のとき、私も車に同乗して退村式に出席し、実際にその様子を目の当たりにした。
確かに相方が言ったように、あちこちで別れを惜しんで、手を取りあったり、抱擁したりして涙ぐんでいる様子が見られた。
――お名残惜しいのですが、申し訳ありません、次の日程がありますので生徒さんはバスの方にお願いします
ツーリズム社の担当者にうながされて、生徒はバスに乗り込む。情にほだされて、目にハンカチを当てている受け入れ農家の主婦もいて、「泣きの涙の別れ」は嘘ではなかったのである。
駐車場から離れていくバスの中から身を乗り出すようにして、さようなら! と叫んでいる子もいる。見送る受け入れ農家の人達にまじって、私も一緒に大きく手を振った。私も目頭が熱くなってしまったことは否めない。
――女の子だけかと思っていたら、女の子ほどではないけど、男の子だって、なかなかわたしのそばから離れないからよく見ると、目を赤くしている子がいたから気持ちは女の子と変わらないんだ、と思って、男の子も改めて可愛くなっちゃったわ
男子生徒を初めて受け入れたとき、退村式から戻ってきた相方がそう言った。
たった一二泊でどうしてそうなるのか、考えてみた。
これまでやってきたのは東京、横浜、大阪、それに最近は台湾という外国が加わったのだが、都会の市街地からの子供たちで、田舎は初めてという子がほとんどである。
入村式の会場からの我が家までの往路で、信号がないこと、店がないことがまず驚きで、
――コンビニがないんですね、買い物はどうするんですか
という子がいる。
――信号がなくて、まるで高速道路みたいだ
とはしゃぐ子もいたという。
いつも見慣れている私たち田舎に住む者にとってはなんということもない、丘並、雑木林、田畑、などの田園風景の全てが物珍しく、新鮮そのものなのだろう。
提供した農業体験は、二十日大根や落花生の種蒔き、オクラやサツマイモ、スイカの苗植え、里芋掘り、・・・などなど。
私は子供のころ、たき火が好きだった。火を見ると血が騒ぐというか、原始的な心が躍るというか、囲炉裏で火が燃えているのを見るのも、風呂釜の下に燃し木をくべて燃やすことも好きだった。
子供たちもきっと喜ぶに違いないと見当をつけて、煮炊き体験を入れることにした。幸い昨年、屋外に一坪弱の鍋煮用の掘立小屋を建ててあった。そこでサツマイモを煮て、乾燥芋を作ったのである。
都会の煮炊きはガスと電気だから、原初的な木を燃やす経験はなかったろう。案の定、子供たちは興味津々で、裏藪から枯れ木を集めることから始まって、煙にいぶされながらも嬉々としてタケノコやジャガイモを煮た。殊に吹き竹を使って火勢を起こすことが男の子女の子にかかわらず、物珍しく、面白いらしく、
――やらせて、やらせてよ
と言って、交代しては、頬を膨らませて吹き竹を吹いていた。もう十分に燃えているのに尚も吹く子がいるのには笑ってしまった。
さて、私は農家の生まれである。五男坊だから外に出るのは既定事実だったが、子供の頃から農業関係の仕事には絶対に就かないと決めていた。というのは、農作業のほとんどが単調でつまらなく喜びが感じられなかったからである。田植えの苗運び、稲掛けに稲を干す、耕運機で畑を耕す、などはそれほどでもなかったが、畑の草むしり、麦踏み、などの単調そのものの作業を何時間もやらされたときは、苦痛以外のなにものでもなく、ああ嫌だ、と思い、父や母は一言も愚痴をこぼすことなく、どうしてあんなに半日も続けて平気なんだろう、と呆れるやら感心するやらしたものである。
そんなことから体験作業の中に、草刈り、草むしり、を入れてみることにした。
都会の子がどんな反応をするのか興味があったからである。農業の大変さ、辛さの一端を味わってもらうのに最もいい作業ではないか。しかし、後で感想を聞いてみると、意外にもいろいろな仕事の中で草刈り草むしりが一番楽しかったという声が多かったのは意外だった。あれ、私の子供の頃の感じとは大分違うな。まあ、夏の暑い炎天下では熱中症の恐れがあるので三、四十分で切り上げたということもあるのかもしれないが。
――鎌で草を刈り取るとき、サクッという音がして、それが気持ちよかった
という子がいた。ただ、虫が苦手だとか、腰が痛くなったという子も何人もいたので、あと三十分もやらせれば、根を上げる子も出ただろうが・・・。
ところで、小中高生の十代の若者にまず感じることは、よく話を聞いてくれるということである。六七十代の私と同じ世代は長く生きてきて考えが固定化しているからやむを得ないが、まず人の話に耳を傾けない。というか、馬耳東風の人が多いのだ。相方は整体師であり、栄養学を学んでいるので、健康については専門家はだしである。高齢者は膝や腰が痛いという人が多いので、
――それは歩き方に問題があるからで、足の親指の付け根に体重がかかるようにして、そこで蹴るようにして歩くといいですよ
とアドバイスしてもまずまともには聞いてもらえない。酷い場合は、
――そんなことしたら痛くて歩けねえよ
と反発されたり、
――医者はそんなこと言わなかった
とか、
――これは治りっこねえよ、痛み止めの薬を飲めばいい
と決めつける。医者でもない素人に何がわかるか、という言わんばかりなのだ。
しかし、子供たちは農作業の手順についてにしても、生活上の注意にしても、前提なしに真剣に話に耳を傾けてくれるのである。
これまでに我が家に小中高生が合わせて五十名程がやってきたが、そのうちの十名前後が食べ物の好き嫌いが多い子だった。要するに野菜嫌いの子がいて、酷い子は出したものの半分以上残してしまう。好き嫌いが多いと将来の健康に差しさわりが出るぞ、と私はおもい、若い世代の家庭の在り様、問題点の一端を見たように感じた。相方も同じ見立てで、少しでも子供の好き嫌いを改善できれば、と話し始めた。
――人間の身体は食べたもので作られているのよ。五大栄養素の他にも必須微量栄養素というものがあって、必須だから微量ではあっても、毎日必ず摂取しなければならないの。もし、その一つでも欠けたとすると、具合が悪くなったり、病気になってしまうわ。野菜にはビタミンやミネラルなど一杯含まれているのよ。脳に栄養がいかなければ、頭が働かないし、いい考えが浮かばないわ。つまり成績が上がらないでしょ。それにイライラしたり、疲れやすくなったりするわ。だから、何でも好き嫌いなく食べたほうがいいのよ
皆一言も聞き洩らすまいというようにつぶらな瞳で、相方を食い入るように見つめている。高齢者のように反発したり、斜めに構えて聞くような子は皆無だった。相方が親身になって熱を込める語り口には説得力があって、ついつい引き込まれてしまうということもあるのだが、食事回数が増えていくにつれて、食べなかった子の食べる品数が増えていくのだった。好き嫌いしていると身体に良くないことは確かなようだから、何とか食べなければとおもったらしく、明らかに努力していることが見て取れた。中に一人の中学生が最終回の食事のとき、時間はかかったが完食したのである。初めは半分以上残した子が、である。見ていた私は胸にジーンとするものを感じた。
――ああ、よかった
心から喜んで微笑んでいる相方に、何かほっとしたような表情を浮かべているその中学生の顔が印象的だった。
他にも、
――これからは何でも食べるように努力します
という子が何人も出て、相方の言ったことが子供たちの心に明らかに浸透したことが見て取れたものである。
相方が毎回言うことの一つに、感謝ということがある。
――人は感謝ということが大事なのよ。あなたは毎日食事を作ってもらってありがとう、学校に行かせてもらってありがとう、と、お父さんお母さんに言ったことある?
あら、ないの。毎日世話になっているのに、それじゃ、ダメよ。じゃあね、まず手始めに帰ったら、農泊に行かせてもらってありがとう、って、言ってごらんなさい。だって、農泊にはタダでは来られないのよ。お金が何万円もかかっているわ。それを出したのは誰なの。お父さんお母さんでしょ。あなたたちのためを思って一生懸命働いて、お金を貯めて出してくれたのよ。感謝しなくちゃ。ありがとう、って言ったら、お父さんお母さんきっと喜ぶと思うわ。実は、ありがとう、って言葉は、言われた人よりも、言った人のためになるのよ。ありがとう、って言われた人は勿論嬉しいのだけど、それはそのうちの三割で、言った本人の細胞の方が七割も嬉しくて喜ぶものなのよ。
相方が言うには、例えば相手を褒めるとすると、その人は嬉しいがやはりそれも三割で、七割は褒めた本人が嬉しいのだという。ものを人にあげた場合も同じ、もらった人三割、あげた人が七割嬉しい・・・。
そう聞いたとき、なるほどと私は思ったものである。そうかも知れないな。
おそらく帰宅して、農泊に行かせてくれてありがとう、と言った子が半分以上はいただろう。言わないまでも、人にとって感謝ということは大切なことなのだということは脳裏に刻まれたことは間違いないとおもわれる。
農泊は都会の子供たちにとって、田舎生活、農業体験は、今までには全くない新鮮な体験で、また田舎に住む私や相方との会話にも、親や教師とはまるで違ったものを感じ取ったのかもしれない。
夕飯を終えたひととき、私のオリジナル「母の微笑」のギター弾き語りを聞いてもらうことにしている。生演奏のギターはほとんど聞いたことがないだろうし、子供たちがどんな反応をするか、興味があったからである。高齢者はこの曲に涙ぐまれる方が多いのだ。母親をおもい出すと言われる。では中高生はというと、やはりしんみりとした面持ちで聞き入るので、感じることは高齢者と変わらないようだった。歌の力は大きいということが確認出来たおもいである。聞いてもらうのはこの一曲のみで、その後、ギター伴奏で皆で「故郷」を合唱することにしている。「故郷」は東日本震災以後は、日本人にとって世代を超えたなじみの歌になったので、高齢世代の私たち二人も若い中高校生の世代も声を揃えて楽しめるからである。毎回笑顔で、しかし、しめやかに合唱している。
これから子供たちが大人になってから、民泊とともに、この「故郷」のメロディや歌詞が脳裏をよぎるに違いない。
――ここを故郷とおもって、またいつか来てね、わたしたちははあなたたちのお父さんお母さんとおもっているからね
というと、来る、くるよ、と言った子も多かった。
ともあれ、子供たちにとっては一、二泊という短い期間ではあっても、田舎の体験はずっしりと中身の濃いものだったことは確かなようで、それを全身の血肉、若い感性、神経を傾けて味わっていたのだろう。
それが、退村式での「涙の別れ」に繋がったのだろうと私は納得できた。