屋根から落ちて頭が裂けた

「ゼリーとアクティベーター」・・・その2 

 

 ゼリーやプロポリスクリームの抗菌作用、殺菌力について述べてみたい。

 現在の相方の住居で同居しはじめて間もなくの頃のことである。

 私は屋根から落ちてしまったのだ・・・

 どうして、屋根から落ちたのか――

 その日は草刈りをしたり、田んぼ隣のよそのひとの土地なのだが、邪魔なので桑の木を切って片づけたりの、かなりの作業をこなして疲れていた。しかし、相方はまた庭の草むしりを始めたのである。私はまだ仕事をやるのかと嫌気がさしたが、相方がやめない以上なにかやらなければとおもった。今なら気がすすまないときはやらないのだが、当時はまだ気心が分かりあえていなかったということなのだ。詰まっている母屋の屋根の樋のゴミでも取ろう、とおもいたち、納屋から脚立式梯子を持ってきて、脚立を梯子に伸ばして、屋根に立てかけて昇りはじめたのだ。嫌々やる気がすすまない仕事をやってはいけないのだ。そういうときは緊張感に欠け、やることが杜撰になりがちで、えてして事故が起きやすいものなのである。

 後で分かったことだが、そのとき私は二つの誤りを犯していたのだった。一つは梯子の向きを逆向きにして立てかけたことであり、二つ目は脚立を伸ばして梯子にしたとき、留め金を二つとめなければならないのに一つしか止めなかったのだ。このうちの一つでも怠らなかったとしたら、事故は起こらなかったはずである。梯子を正常な向きにしていれば、例え留め金を二つともとめなかったとしても、梯子は折りたたまない造りになっているし、梯子を逆向きに立てかけたところで、留め金が二つとまっていれば、留め金は私の体重の重さに耐えたに違いないのだ。

 これまでアルミ製の脚立など使ったことなどない私は、無頓着というか恐いもの知らずで、脚立の横腹に貼り付けてある「取扱い上の注意」を読みもしなかったのである。
 梯子段を一段一段上がって、高さは四メートルぐらいか、左手で梯子をしっかり掴み、右腕を伸ばして手で雨樋のゴミを探りはじめたとき、異変が起こった。

 ぶちっと鈍い音がして、身体が揺らぎ、身体が宙に浮いたような感覚に襲われた。その後はどこがどうなってどうしたのか、よく覚えていないのだ。ただ、私の身に何かよからぬことが起こっていることだけは認識したようにおもう。頭を強打されたような激しい痛みとともに、何か生暖かいものが額から顔に流れ落ちるのがわかり、はっと我に返った。

 そこでどうやら私は梯子から落ち、打ちつけたか何かして頭に怪我を負ったようだと漠然と悟った。頭から肩によりかかっている重いものをどけるようにして這い出し、家の軒下のコンクリートに座り頭を両手で押さえた。押さえても両手の間から血が溢れ出るのが分かった。私はすぐそばにいるはずの相方の方に顔を向けて、

――ゼリーとタオルを持ってきて

 と怒鳴った。あわてふためいて近づいてきた相方とどんなやり取りをしたのか、よく覚えていない。ただ、血が顔から顎に伝い地や膝に落ちる不快な感触が漠然と残っているばかりである。

 これは後で分かったことだが、ぶちっという音は梯子の止め金が私の体重の重みに耐えきれずに千切れた音であり、私は折りたたみながら落ちる梯子とともに座るように地に叩きつけられ、その頭を殴打する形で折りたたまった梯子が落ちてきたのだった。

 不幸中の幸いだったことは、逆さに頭から地に落ちたのではなく、立った状態から座るような姿勢で落ちたことである。上からアルミ製の梯子が落ちて、上頭部に斜めに裂傷を負ったものの、これが逆さになって落ち、下にあった敷石か軒下のコンクリートに頭が激突したとしたら、それぐらいのことでは済まなかったに違いない。また、そばにいた相方が経験を生かして適切な傷の処置を早急にほどこしてくれたことも幸運だった。

 私のそばにかけつけた相方は、うずくまって頭を抱えている私の真っ赤に染まった手の間からどくどく流れおちる血を見て、一瞬どうしたらいいか分からなかったという。救急車を呼ぼうか、というと、

――救急車なんか、呼ばないで

 と私は強く言った。このことは、よく覚えている。そして、

――医者は信じないが、翔子さんとゼリーは信じる

 と、口走ったのだという。これは、そんなこといったかなあ、とうろ覚えなのだが、後で彼女が繰り返してそういうので、救急車を拒否したい一心のやり取りのなかで、そんなことを言ったのかもしれない、と今はおもう。

 私が救急車を拒否したのは、病院や医師に対する根強い不信感がある。自身の胃十二指腸潰瘍や椎間板ヘルニアの治療の過程での医師の誤診、不適切な治療、などに加えて、妻の介護のときの医師や病院の対応に私は不信感を募らせていたということなのだ。一つだけ具体的に記してみると、腰の痛みは胃十二指腸潰瘍の症状だったのに、その治療はせず腰に何度も注射を打たれ、別の病院で本当の痛みの原因がわかったのだ。要するに誤診だったのである。

 それに少し前に、頸右斜め後ろぐらいに出来物ができて、外科医院で膿を出すという手術を受けたのだが、切開自体はそれほどでもなかったのだが、その後の通院での処置が、切開した傷痕にピンセットでガーゼをこじ入れて膿をほじくり出すというものなのだが、これが痛いの痛くなのって、私は悲鳴を上げつづけてしまったものだった。そのときの傷はせいせい一、二センチぐらいなものだったが、どうやら頭の傷はそれとは比べものにならないぐらいに大きいように感じられ、救急車などで病院につれていかれたら、何をされるか分からないし、包帯で頭をぐりぐり巻きにされるという図がおもい浮かんできて、恐怖を覚えたということもあったのである。

 相方はちょっとの間考えて、覚悟を決めたという。医師は信じないが、翔子さんとゼリーは信じるという私の言葉に背中を押されたのである。

 以前農協主催の慰安旅行で、ある温泉に行ったとき、同行した女性が転倒してどうした加減か、肘の骨が見えるほどの怪我を負ったことがあったのだが、相方は持っていたFLP社のプロポリスクリームを使って応急処置をしたという経験を持っていた。そのときのことが脳裏をよぎり、やってみようと心に決めたのである。

 五分後、私は母屋の仏間の畳の上に横になっていた。

 傷は右額上の毛の生え際少し上から左後ろの後頭部にかけて五、六センチぐらい真っ直ぐに裂けて、ぱっくり口を開けている状態だったという。だから、激しく出血したが、裂けないで内出血になるよりはよかったとおもわれる。

相方が用意したものは、ゼリー、プロポリスクリーム、絆創膏、包帯、氷嚢、ハサミ、サランラップ、などである。

 処置の邪魔にならないように、まず傷口の周りの髪をハサミで切り、傷から溢れる血をタオルで拭い、出血が少なくなったのを見計らい、傷口にゼリーをたっぷり塗り、その傷口の周りをぐるりと、やや固めであるプロポリスクリームを囲むように塗って、その全体にガーゼを載せ、更にその上にサランラップをかぶせる。そして、用意した氷嚢を添えて冷やしたのである。次の日には、ガーゼなどがとれないようするために、相方はマスクまで用意したのだ。

 私が包帯を嫌がったため、傷口にマスクをする形で、両耳に紐をかけたのである。私は救急車の拒否にはじまり、わがままな、やんちゃそのものの怪我人だったことになる。

相方のてきぱきとした適切な処置は効を奏して、出血は止まり、ずきんずきんする痛みも次第に和らいでいった。かなりの大怪我なのに傷口が直接見えない本人はいたって暢気で、

――あとで頭禿げたりしないかな

などと言って、必死の思いで手当てをしている相方は呆れてしまったという。

一時間ほどした頃、両足が痛んでいることに気がついた。甚大な頭の痛みが和らぎはじめて、隠れていた軽度の痛みが姿を現したということかもしれない。身体をひねって確かめてみると、左足裏が腫れ、右足右の骨の突起のあたりも紫色に腫れ上がって、熱を持っているではないか。これでは満身創痍状態だな、と改めて感じた。四メートルぐらい上から座り込むような姿勢で落ちたので、地面に足から激突した瞬間、左足は足裏を、右足はひねって骨の突起のあたりを打撲したものとおもわれる。相方を呼ぶと、両足に頭と同じようにプロポリスクリームとゼリーを塗って、サランラップで包みこんだ上に濡れタオルを置いて冷やしてくれた。この足の打撲は重篤なものではなく、手当のおかげてみるみるよくなり、次の日には歩行しても平気なぐらいに回復した。

頭の方はというと、当初はずきんずきんとしたどうしようもない痛みに悩まされたが、三時間もするとぐっと和らいだ。早目の夕食を取り、床についた。痛みは、ずきんずきん、から、ずきずき、きりきり、そして、しくしく、へと変わっていった。眠りの中でも痛みを意識せざるを得なかったが、朝になると頭を動かさない限り痛むことはなくなっていることに気づいた。相方が随時傷口を観察し、次第に腫れがとれ、傷口が塞がっていく様子を見守ってくれた。

大事をとって、三日間は必要最小限しか動かないようにし、床にいるか、居間の椅子に座って過ごした。三日が過ぎて傷口が塞がったことを確認してから、起きることにした。足は完全に元に復して、歩いても違和感がなくなっていた。ただ、動くと頭の傷口が疼く感じがあるので、庭を散歩するぐらいに留め、仕事はしないことにした。

そして一週間が過ぎ、私は延び放題になっている屋敷や田んぼの土手の草刈りなどの仕事に復帰することが出来たのである。

ゼリーもプロポリスクリームも、アロエベラ関連の製品で、抗菌作用、殺菌力があることは知っていたが、これほどまで傷に効くとはおもっていなかったので、驚いている。

それにしても、溢れ出る血を含んでタオル二枚が重く、赤黒くに染まるほどの重篤な傷だったのに、普通なら救急車のところを、自宅での手当てで治してしまったのだから、私もだが、相方も、相当おもいきったことをしたものだと、振り返ってみて、これは武勇談といってもいいかもしれないともおもうのである。

 我家では、先に記したようにゼリーは化粧品としてだけでなく、虫刺され、傷の手当てなどに常時使用していたので、私は今回の大怪我の手当てにも役立てたのであるが、これは私と相方だから出来たことであり、他の方々に勧めるものではない。

 ゼリーにしろ、アクティベーター、プロポリスクリームにしろ、あくまでも化粧品として販売されているもので、治療薬ではないということも付け加えておきます。

 念のため申し添えます。

2017年10月19日