生活訓

 相方は、生活上のモットーや教訓を壁に掲げることを好む。私にはまるでない習慣で、初めは奇異に感じられたものである。

 例えば、共に生活するようになって、一番最初に目についたのが、次のようなものである。

 商売繁盛 家運隆盛
 ハキモノ キチンと そろってる
 アイサツ しっかり かわしてる
 トイレは いつでも ピッカピカ
 これが できたら 社運隆盛
 いつも ニコニコ 商売繁盛
 家庭で できたら 全員 ハッピー
 みんな そろって ありがとう
 みんな 笑顔で ありがとう

 発行所は「ヒューマンウェア研究所」とある。誰か著名な人物が考えた人生訓なのかどうなのか。

 私は何か思わず笑いがこみ上げてくるのを感じたものである。こんなことを心がけて生活しているのか、と思ったからである。

 これは掃除、整理整頓、が出来ていない店や会社、ひいては家庭も繁盛しないし、うまくいかないということを言っているのだろう。

 また、明るい雰囲気で、挨拶やコミュニケーションが出来ていないと人間関係がスムースにいかず、商売も上手くいかない。というようなことを端的に表現した標語なのだろう。

 私も改めてよく考えてみると、そうはっきりと意識してはいなかったものの、これら標語と考えている方向は同じだな、と再認識したものである。

 初め奇異に感じられた標語掲示も、慣れてくると、ま、自己の目指す方向をはっきりと意識する方法としていいことかもしれない、と思うようにはなったが、自分はやる気にはなれなかった。掲示することは自己の内面をさらけ出すようで気恥ずかしいし、掲示しなくとも、肝に念じればいいと考えるからである。

 彼女が最も好む標語の一つに、

 思えば叶う

 があるが、これは、目標を決めて、それに向かって努力すれば、その目標としたことはきっとかなえられるものだ、というようなことであると思うが、私も同感であり、いい言葉であるので、心に深く刻み込まれることとなった。

 私は志すことを掲示したりはしないが、掲示して志を達成しょうとする前向きな姿勢は是とするものだ。
 私も後ろ向きではなく、常に前を向いて行こうとしてきたことは彼女と共通しているとおもう。そのあたりで意気投合し、ともに歩むことになるきっかけになった。
 
 私が小説やエッセイを執筆するようになった契機は、自分を振り返ったり、自分を見つめようとしたことだった。初めに詩を書き、次いで短歌に移り、それから小説やエッセイに筆を染めたのだった。

 それとは別に、発表したり掲示したりはしないが、何か嫌なことにぶつかったり、迷ったり、悩んだり、自分の進むべき方向が分からなくなったりしたときに、私は大学ノートにそのときどきの自己の状況を書きつけ分析することにしてきた。

 状況を箇条書きにすることもあれば、ただ思いついたことをダラダラ書いていくこともある。すると、自分の状態や置かれている情況が分かってきて、どうすれば問題が解決できるか、自分のやるべきこと、進むべき方向が見えてきたりするものなのである。

 二十才の頃から始めたことで、それら大学ノートは処分せずにあり、二十冊ぐらいはダンボール箱にあり、数冊は机の中に入っている。机の中の数冊はここ数年書いてきたもので、今も書きつつあるのだ。だから、二年に一冊ぐらいの割合で書き綴ってきたことになる。

 少し違ってはいるもののも、私の大学ノートと相方の生活訓とは、その役割はよく似たものであるといえるのかもしれない。

 相方は生活訓を壁に貼りつけるぐらいだから、自己のおもいをつつみかくさずに表現する方である。彼女は、私と出会えて本当によかった、とよくいう。あなたと一緒になれた今が一番幸せ、とも。

 いわれる方としては気恥ずかしいが、悪い気はしない。普通の日本人はこころでおもっていても、特にそんなふうにあけすけには表現しないものである。それで、あなたはどうなのよ、というから、私はテレ隠しで、それは同じだよ、もし一緒にいて嫌だとおもったらここにはいない、すぐでていくよ、というような言い方をするのである。

彼女が扱っているアロエ製品のネットワーク関係で第一世代とは、伝えたすぐのひとをいい、その第一世代が伝えたひとを第二世代、その次を第三世代というような呼び方をするのだが、相方の第一世代に銀座でクラブのママをやっている同じ年齢の方がいる。限界集落のような村にいる相方が東京の中心の繁華街ともいえる銀座のママさんにどのように伝えたかというと、同じ村でこの銀座のママの従姉妹がイチゴ農家をやっていて、その従姉妹の紹介によるのである。ネットワークというのは、このようにどこでどう伝わるかわからない面白さがある。この銀座のママの旦那さんは演歌界の大御所である北島三郎がギター流しをやっていた頃の仲間で、一緒に盛り場を流していたギター弾きだった。北島三郎は高音部の声がきれいにでたが、ママの旦那さんはテノールで高音があまり出なかった。その差で北島三郎はその後デビーを果たしたが、ママの旦那さんは歌手をあきらめクラブ経営に転じたのだという。この銀座のママ、ごく普通というよりも、むしろ地味な感じの女性なのだが、旦那さんの紹介の仕方はふるって派手である。
――わたしが惚れて惚れ抜いて一緒になった最愛の夫○○です
 多分旦那さんは面映ゆいながらも、内心では嬉しいことだろう。
 類は類を呼ぶというが、相方もアロエのネットワーク関係の集会で、私の話をするとき、

――私の主人は、ワタシが潜在意識を使って一緒になれた理想のひとなんですよ

 てな言い方をするのだという。潜在意識ということばについては、少し説明が必要だろう。

相方は月に一度、さいたま市で開かれているアロエ関係のネットワークや人生哲学を学ぶ塾である「酒井塾」に通っているのだが、限界集落のような村からさいたま市までは車で宇都宮線の片岡駅まで三十分、そこから乗り継いで約二時間半、つまり片道三時間はかかるのだ。それをもう十七年も通い続けているのだという。体力的にも大変なことだと私はおもい、七十代になってもここまでして学ぼうとする姿勢は、村では異色の存在で、このことだけでも煙ったがれたり、妬まれたりすることはうなずける気がしたものである。相方はアロエ関係の研修で、アメリカにも七度も行っているのだ。しかし、上には上がいるもので、受講生は北は北海道から南は沖縄まで、文字通り日本全国から毎回千人以上集まってくるのだという。北海道や沖縄からは飛行機でくるのだが、午後二時から二時間受講しての日帰りなのである。そのひとたちは時間もだが費用も相方よりも相当かかるし、強行軍である。わたしなんか近い方なのよ、と相方はいった。

私も一度だけ、酒井塾主催者である酒井満氏が講師をつとめる「潜在意識セミナー」なるものに連れていかれたことがある。このときも千人ぐらいの受講者がいたが、まず驚かされたのは集まった人の、それも女性の服装の花やかさや肌のつやのよさだった。四十代から七十代といった感じだが、少数だが八十代のひともまじっていて、そのひとたちも一様に肌がきれいなのである。ちなみに男性の参加者はざっと見渡して一割ぐらいと感じた。限界集落で腰が曲がったくすんだばっちゃんスタイルや皺だらけの顔ばかり見ている私には、異次元の輝く異世界に迷い込んだかのような錯覚に襲われ圧倒されたものである。      

わたしはそこで、相方がよくいっていた、

――いくら紅や白粉を顔に塗りたくっても、肌は本当にキレイにはならない、表面だけではなく、内から潤わなければ・・・

 という言葉を思い出したものである。現在の住居の周辺のひとははやいケースは六十代、七十代になれば容色の衰えは目をおおうばかりだが、なかには少数だが相方のようにぴかぴか肌で、オーラを放っている女性もいるのである。彼女には七十代になっても尚学ぼうとする姿勢があり、その内面からの輝きなのだろう。相方はこうもいった。

――三大栄養素のバランスを考えた食事をすればいいか、というとそれだけではダメ、一般的にはしられていないことだけど、ひとの身体には微量栄養素というものが必要なのよ。必須微量栄養素というものだけど、たとえばミネラルやビタミン、アミノ酸、などそれぞれ十数種類、合わせて四十六種類もが必要で、それは読んで字の通り、ほんとに微量ではあっても、それが一つでも欠けると身体にはよくない、病気になってしまうの・・・、そしてこれら全部を現代の穀物や野菜などから摂取するのはなかなかむずかしいの、そこでなのよ、アロエ製品の出番は。健康補助食品は新聞テレビなどで盛んに宣伝されていて、数が多くてどれがいいか分からないけれど、この四十六種類の必須微量栄養素だけではなく七十六種類もの栄養素が含まれているFLP社のアロエベラが最も優れた製品だと、わたしはおもっているわ

 彼女が言っているのは、化粧して皮膚の表面をいくらキレイにしようとしても、肌はキレイにはならない、皮膚やその下の細胞に必要不可欠な栄養を与え、すなわち身体の内部を活性化させると同時に、内面的な精神活動、心の充実、内からの輝き、潤いが必要なのだということなのだろう。

 ここに集まってきているひとたちは、アロエ製品を愛用するとともにそのよさを伝えているひとばかりだから、微量栄養素を含めた栄養が身体のすみずみまで行き届いているだろうし、日本各地から学ぶためにやってくるぐらいだから、前向きの意欲にあふれ内面も活性充実しているだろう。それでみな肌がきれいなのに違いない・・・。そんなことをおもいながら、私は生き生きとした表情をしている会場内の人々を見回したものだ。

 セミナーの内容は、酒井満氏の講話と壇上にあがった十名程度の出席者のアロエによる健康体験やネットワークを広げた具体的体験談などだった。

 酒井氏の話は、アロエや先輩仲間の素晴らしさ、奥さんへの感謝、など、とりたてて特別なことではなく、私が普段考えているようなことだった。もちろん、アロエのネットワークを広げることで成功したひとだから、話に力があり説得力があった。相方は十七年も酒井氏の塾に通っているが、もっと長く通っているひとも多いという。座は熱気があふれ、ある種宗教的色合いを帯びているようにも感じられるが、一回二千五百円というチケット代を払う。宗教とは明らかに違う。酒井氏はカリスマ性はあるが、教祖的ではなく、有能なビジネスマン風である。信仰ではなく、酒井氏の成功例を参考に、あるいは氏の話を聞いて刺激を受けることによって、ネットワークビジネスで成功をおさめたいというひとたちが集まってくるのである。

 相方がアロエについて常に言っていることは、

――伝えれば人を健康にすることが出来るのだから、世のためひとのためになる仕事なの

――人を健康に出来れば、医療費を抑制でき、今大変な状態にある国の財政にも貢献できる。つまり国のためにもなるってわけ

――もちろん伝えればその報酬としてボーナスをもらえる。当然自分は愛用しているのだから、健康を保ちつつ財布もうるおうのよ

――要するに、この仕事は人のため、自分のため、国のためにもなる仕事だから、やり甲斐があるのよ

――お金儲けのためだけ、自己の欲得勘定だけでこの仕事をしようとしても成功はしない

 私は若い頃胃十二指腸潰瘍で四度も入院し、三十三才のときの入院は二ヶ月にも及んだのだ。その他椎間板ヘルニアでも長期間通院したし、胃の薬をかなり飲みつづけた。私は医療機関に大分医療費を支払ったことになるが、それ以上に健康保険の医療費を相当費やしたともいえる。それが彼女と出会いアロエ製品を愛用しはじめてから、薬は飲まなくなり、病院には定期検診に行くだけとなった。アロエは決して安いとはいえないが、病気になって費やす医療費よりは大分格安だとおもう。そして何よりもアロエを愛用して健康になれば、薬を飲まなくなり病院にも行かなくなるのだから、確かにアロエは医療費の抑制に繋がるといえるだろう。 
 
 話が大分横道に逸れた。話を潜在意識に戻そう。

相方が言うところの潜在意識とは、自分がこうなりたいとか、目標をかなえたいということとかがあったら深く思うこと、それは表面的な顕在意識にとどまっているうちはかなうことはないが、潜在意識までとどけば必ずや叶うものだということなのだ。では、潜在意識までとどくのにはどのようにすればいいのか。それは、繰り返し、強く、深く思うこと。唱える、念じる。相方は紙に書くことが最も効果的だという。冒頭に記したが、相方は壁に貼って、それを日々読んでいるのはそのためなのだった。

私と出会うきっかけになったのは、息子が家を出て行って間もなくの頃、訪ねてきた末の娘が、何気なく発した、

――お母さん、一人じゃ寂しいでしょう、お茶のみ友だちでも作ったら

 という言葉だった。相方は胸に強く何かが萌すのを感じ、一念発起し、そうだ、と相手を見つけることに決め、その日の夜のうちに、さっそく大きな紙に、相手としての条件を十何ヶ条かを書き記した。一、知的で、二、優しくて、三、私を大切にしてくれる・・・というように。なぜ十何ヶ条もの条件をあげたかというと、以前二つだけにして失敗したことがあったからである。そのときは、一つは頭がよい、二つ目は目が大きい、にしたのだった。しかし、これは大きな間違いだったのだ。その条件通りの人が現れて結婚することができたのだが、その人は二つの条件は満たしていたものの、大酒飲みで、神経質で、優しさがなく、病弱で、私を大切にしてくれなかった、というのである。

――それは、亡くなった私の夫なの、ハハハ

 そう言って相方はいたずらっぽく笑う。

 さて以前のてつを踏まないように十何ヶ条も上げ、酒井塾で期限も何月何日までときちんと区切らないといけないと習ったので、三ヶ月以内と記して、寝室の天井に貼り、毎日寝る前に何度も読んで念じつづけたのだという。その結果はどうだったのか。

――三ヶ月の期限がせまる数日前、本当に今の主人と宇都宮駅で偶然出会ったのよ。潜在意識は偉大だからきっと奇跡を呼び寄せてくれると酒井さんはいつもいっているのだけど、これは事実なのよ。そして、私があげた条件は実は十六ヶ条だったのだけど、今の主人はほとんどの条件は合致していたものの、ただ一つだけ合わなかったことがあるワ、それはお金持ちではなかったことよ

 アロエのネットワークの集まりでそんな話をすると、座は笑いと驚きとどよめきで大いに盛り上がるのだという。

2017年10月07日