末期癌を克服した人に会った

 

 私はとある高齢者のためのデイサービス施設で以前ギター伴奏のボランテアをしていたことがあるのだが、男性の利用者が極端に少ないことに疑問を感じ、施設長にそのわけを聞いたことがある。

 女性が常時十人前後はいるのに、男性はたったの一人だったのだが、その一人の男性も他の施設に入所したとかで間もなくいなくなってしまった。その後しばらくしてやっと男性がまた一人利用するようになった。

 つまり、男性はいつも一割弱の状態なのである。

――地域に男性の高齢者は、一定割合いることはいるんですよ。でも誘っても来たがらないんですよ

――へえ、なぜなんでしょうね

――女ばかりのとこじゃ、とか、歌、輪投げ、なんてやっても、とか、要するに億劫なんでしょうねえ

 私は現在、O市で月一回開かれる高齢者向けの「歌声喫茶」に参加しているのだが、ここには常時五~八十代の方々が八十人前後集まるのだが、ざっと見回してみると、やはり男性は一割前後なのだ。

 また別に、私は月一回埼玉浦和で開かれる「潜在意識セミナー」にも出席するようになったのだが、ここは毎回千名という大人数が日本全国各地から集まってきて、三~八十代と幅広い年代なのだが、ここは男性の割合が尚少なくて二十人に一人ぐらいしかいない、つまり千人のうち男性は五十人しかいないという寂しさなのである。
 世は、女性ばかりが生き生きと人生を謳歌していて、陰で男性はしょぼくれて、鬱屈した人生を送っている、そんな感を深くする。
 そういった状況に、どうしてなのだろうと、おもうと同時に、男性よ、しっかりしろよ、と、私は言いたくなってしまう。
 男性よ、女性を見習え、着ている鎧を脱ぎ、身軽になり、本来のあなた自身に立ち返って、人生を楽しもうじゃないか。たった一回しかやれない人生なのだから・・・、と。
 
 先日、葉庭松男さくらさん夫妻が来訪され、一泊された。

 葉庭さくらさんは、相方がたずさわっているアロエベラ健康補助食品のネットワーク関係の実績のある先輩であることと、二十年前、スキルス胃癌にかかり余命いくばくもないと医師から宣告された夫の松男さんの命を救った、という話を聞かされていたので、お二方それぞれどんなひとなのだろうと興味は抱いていた。

 そして、今回の来訪のきっかけが、我が家の柿であると聞かされて、尚のこと興味を持った。

 

 ご夫婦は十年前にも一度一泊されたことがあって、相方によると、そのとき食べた我が家の柿の味が忘れられず、ぜひもう一度あの柿を食べてみたい、という松男さんのたっての願いが、我が家来訪のきっかけになったというのである。

 十年前は、私はまだ相方と出会っていなかったので、当然面識はない。

 まず感じたことは、柿を食べたくて、千葉という決して近くはないところからわざわざ栃木に来るなんて、何事にも億劫がって腰が重いのが一般的な高齢者にしてはめずらしい方だなあ、ということだった。

 熟れた蜂矢柿はつやつやして美しく、焼酎漬けにしても、干し柿にしても美味しい、栄養価の高い果実である。いかにも命の元、すなわち生命力の源になる食べ物と感じられる。私はその柿に惹きつける松男さんにも強い生命力が備わっていて、その生命力がスキルス胃癌という難病を克服することに繋がったのではないか、と推測した。

しかし、スキルス胃癌を克服してから、一念発起してハワイ大学に留学したと聞いていたので、向学心行動力のある方で、その一つの表れなのかもしれないが。それにしても柿とは面白い、と感じ、そのことだけで私は松男さんに好意を覚えた。

 さくらさんについては、アロエベラのネットワークでは相方よりもずっとランクは上位の方なのに、偉ぶったところなどみじんもない、グループに関係なく頼めばすぐにフォローに駆けつけてくれる献身的さに、彼女のみならず多くの方に信頼され尊敬されているとは聞いていた。

 松男さんのスキルス胃癌からの生還については、実際に本人から伺うと、改めて劇的な奇跡としかいいようのないものを感じ、感銘感動し胸が熱くなるのを覚えた。

 スキレス胃癌とは粘膜の下に隠れるように広がって自覚症状がほとんどないことから、発見が遅れがちで、症状が出たときには手遅れになってしまうことが多いのだという。

 松男さんの場合も、食欲が減退し、体重が減ったり、下痢が続くようになって、診察を受けたところ、胃の幽門近くに何か突起があるので、それを調べたところ癌細胞が見つかったのだ。それまでにも検査を受けていたのだが、異常はないとの診断だったのである。

 見つかった癌細胞を取るために、胃の三分の一を切除する手術をうけたのだが、その切り取った胃をあらためて調べてみると、胃の外側が全て癌であることがわかった。つまり、もう手の施しようがないほど癌が進行していたのである。

――手術はもうやりようがない、放射線治療も不可能です。出来るとすれば抗癌剤だけですが、でも、それもよくて半年ほど延命できるか、どうか・・・。お気の毒ですが、なにもしなければ、三ヶ月の命です

 これは、かかりつけの医院の医師、セカンドオピニオンも受けて、二つの大病院、の三者共通の見立てであったから、疑いようもない厳しい過酷な現実であることは確かなことだった。

 松男さん本人にとってもだが、妻のさくらさんにしても、その現実を受け止め、どうしたらいいのか決めるまでの心の動揺、葛藤、逡巡、などを想像すると、他人事ながら、察するに余りあり、私は胸が痛くなるのを感じるのである。

 結果的に、さくらさんは、夫の松男さんに、アロエベラの効用を改めて説いて、これで直しましょう、と勧めることにしたのだった。

――絶対に大丈夫よ、わたしはこれで、癌のひとを何人も助けているのよ、アロエベラとわたしを信じてね、これを飲んで、わたしと一緒に癌と闘っていきましょう、そして克服するのよ

 松男さんは、三つの医療機関から同じ見立ての余命三ヶ月との宣告を受け止め、もはやじたばたしたところで仕方がないと、死を覚悟した。数ヶ月余計に生きるよりは楽に死にたい。そうおもい抗癌剤の投与も断ったのである。

 そして、真剣熱心にアロエベラを勧めるさくらさんに、こう言った。

――そうだね、もうこうなっては栄養療法、免疫療法しかないものな、じゃ、よろしくね

 そうは言ったものの、松男さんは本当にはアロエベラの効用を信じたわけではなかったという。

 当時さくらさんは日の出の勢いでアロエのネットワークを広げていた時期だった。周囲から羨望と尊敬を受ける輝く存在だったのだ。というと、キャリアウーマンのばりばりした男まさりの女性をおもいうかべるかもしれない。しかし、実際にお会いしてみると、もの柔らかなおっとりした女性である。が、物言いに無駄がなく的確で、芯の強さがほの見えて、やはり実績がある方はどこか普通のひとにはないオーラをただよわせていると感じさせられたものである。おそらくはさくらさんは松男さんの心の中を察して、己の持っている全てのものを動員して、分かりやすく説明説得したのだろう。

 松男さんは、

――そういえばこれまで女房になにもしてやらなかったな、どうせ間もなく死ぬのだ、これまで何もしてやらなかった罪滅ぼしに、最初で最後になってしまうが、効用があるのかどうかわからないが、最後の女房孝行だ、アロエを摂取してみることにしよう

 と、内心でおもったのだった。

 私がお話のうちで心底心打たれたのは、松男さんが死を覚悟し、最後の女房孝行をしてから、死のうと決意したところである。これは見事であり、気高く、美しく、この心の動きは崇高でさえある。このとき、松男さんは優しい夫となり、益荒男となり、まっとうな一人の人間として峻厳に屹立したのではないか、と私はおもう。

 もちろん、さくらさんは嬉しいながらも気を引き締めて、松男さんを支えていく決意をしたに違いない。

 こんな夫婦愛を神(宇宙)は、暖かい微笑みで包み込んでくれないはずはないのである。

 アロエの効用は、私も体感経験しているので分かるのだが、疑いようもないものである。
私の場合は胃弱でひよわだったのだが、摂取を始めて二ヶ月後には明らかな変化が表れた。よく眠れるようになり、疲れにくくなり、何かじわじわと身体に満ちてくるものがあり、力がみなぎるように感じられ、並行して、頭も心も豊潤がもたされていくような感覚があったのである。

 

一日、アロエジュース百五十ミリリットル、プロポリス二錠、ポーレン四錠、というのが私の摂取量だったが、余命三ヶ月と宣告された松男さんの場合は当然これでは足りない。

毎日、アロエジュース一リットル、プロポリスとポーレンは、朝昼晩それぞれ九錠ずつ、これを一年間欠かさずつづけた。

ご存知のようにアロエ製品は薬ではなく、薬のように患部に直接働きかけて治すわけではない。飽くまでも栄養補助食品であり、必要な栄養素ならびに必須微量栄養素を身体の隅々まで行き渡らせて、身体の各部の細胞を元気にして、免疫力を高め、結果としてその免疫力で癌細胞を撲滅消滅させることを期待するものなのである。

さくらさんは祈るような気持ちで細心の注意を払って、栄養のバランスをとれる食事を手作りして、松男さんに食べてもらったに違いない。その上でのアロエ三点セットである。

その甲斐あって、松男さんの身体の細胞は次第に健康を取り戻し、同時に免疫力が高まり、身体の中に広がっていた癌細胞を徐々に消滅撲滅させていったに違いない。

アロエ製品は決して安い商品ではない。松男さんが摂取した量は相当な額になる。しかし、私の近親で大腸癌で半年近く大学病院の個室入院治療を受けた者がいるが、結局は亡くなった。個室料は一日一万五千円で、部屋代だけで何百万円にもなったろうし、医療費だって癌の種類にもよるが、自己負担額はそれほどではないにしても、健康保険から病院に支払われる額はやはり何百万円にもなったものとおもわれる。そういうことを考慮にいれれば、アロエ製品は必ずしも高いとはいえないのである。それに癌に立ち向かうのだから、お金を出し惜しんでいる場合ではないともいえる。

幸いだったことは、松男さんもさくらさんも銀行員であり、しかもさくらさんはアロエのネットワークの収入もあったので、アロエを十分に摂取しても大丈夫なだけの余裕があったのである。

どのあたりで快癒したのか聞き漏らしたが、もういいかと一年後アロエの摂取量を減らしたところ、腕にぽつぽつと斑点ができはじめたので、当初量に戻して、更に半年摂取した上で量を減らしたとのことである。

松男さんは、アロエ三点セットを摂取しながら、胃の三分の一切除の傷が癒え、勤務に耐えられるだけの体力が回復した時点で、退院し、勤務先の銀行の仕事に復帰した。

そして、余命三ヶ月告知から五年後、無事定年を迎えることができた。定年後も何らかの形で銀行やその関連会社で仕事をつづけるのが一般的なのだが、松男さんはきっぱりと退職する道を選んだ。

やりたいことがあったからである。実家が真珠の養殖漁業を手がけていて、真珠の研究がしたかった。ハワイ大学に留学したいとさくらさんに申しでると、さくらさんはそれをあっさりと承諾したので、松男さんは拍子抜けの感じがしたという。

――あんなにあっけなく、いいんじゃない、どうぞ、どうぞ、なんて言われるなんておもわなかったよ、あれ、外国に長期間行くのに、とめもしないで、何故いとも簡単に、認めるんだろう、ぼくがいなくなった方がいい、あるいはぼくが邪魔になったのだろうか、なんて勘ぐっちゃったよ

あら、そんなふうにおもったの。さくらさんは、笑いながら言った。

――わたしがあなたを邪魔扱いするわけがないじゃない。癌で余命宣告をされて、奇跡的に助かった命でしょ、これからはあなたに好きなことをして生きていって欲しいとおもったのよ、わたしはあなたがたとえ地球の裏側にいようとも、元気でいることさえ分かれば、それで満足なの、だから、どうぞ、って、言ったのよ

 結果的に、松男さんは、ハワイ、メキシコ、ベルギー・・・、というように、以後は世界各地に出かけた。滞在型旅行とでもいったらいいのか、短いときでも三ヶ月、長いときは七ヶ月もそこに住み着くようにして、見聞を広め、学習、研究したのである。世界中に友人知人ができた。またいつこっちにくるのか、と誘いの連絡が入るのだ。

 癌克服から二十年たち体調は悪くはないものの、数年前に左目に緑内障が発見され、少しずつ進行していることが実感され、海外にいくことは控えた方がいいとおもうが、ハワイ在住中にお世話になった方から、ぜひぜひとの誘いが入り、そこにもう一度だけ行かなければならないかな、と思案しているとのことである。

 癌が治ったという話を聞いたことはあるにはある。しかし、それはごく初期に発見された場合で、大抵は数年以内に死に至る病であるというのが私の認識だった。実際私の兄三人は、肺、大腸、食道の癌でいずれも一、二年で他界している。

 松男さんがかかったスキルス胃癌の五年生存率は10~20%しかないという。しかし、松男さんは余命三ヶ月と宣告されたのに、癌を完全に克服したのだから、奇跡としか言いようがないが、実際にお会いしてみると、特別な人というわけでもなく、ごく普通の方で、人なつっこい笑みを浮かべながら快活に話される。そんな方に、お会いできて、本当によかったなあ、とあらためて感じるのである。

 私がご夫妻と語り合って、ともすれば引き籠もり非活動的になりがちな私と同年代の方々を見るにつけ、松男さんは世界を股にかけて渡り歩くバイタリテイがあり、さくらさんはそれを許し動じない度量とおおらかさがを示しつつ、アロエの発展に寄与すべく活躍され、燦然と輝く姿を目の当たりにして、励まされ、私もまだまだやれる、やるべきだなという共感と心強さを感じた次第である。

2017年02月19日