顔に農薬を浴びた

我が家の作物作りの基本は、無農薬有機肥料による農業である。
 安心安全なものを食べたいからである。

 

 現在の家に住みつく前、半年間大田原市の私の家から今の相方の家まで自転車で通っていたことがある。八年前のことだ。距離にして約十キロ、片道五十分かかった。

うららかなある春の日、田畑が拡がる田園風景のなかを気分良くペタルを漕いでいた。

動力噴霧器で道路脇の作物を消毒している六十代ぐらいの男性がいるのが目に入った。風が少しあった。嫌な予感がして、早く通り過ぎようとしてペタルを強く踏んだのだが、次の瞬間顔に少なからぬ飛沫を感じた。男性は私の姿が目に入らなかったのだろう。何気なくホースの向きを変えたのだと思う。私は五十メートルぐらい行って、自転車を止めた。自転車を倒して、小川にかけよってかがみ込んで、流れの水をすくってはバシャバシャ顔にかけることを繰り返した。顔を手で拭って、倒れている自転車を起こして、動力噴霧器で作物に農薬を噴霧しつづけている男の方を見た。男は農薬を私にかけてしまったことなど気がついていないようだった。私は目が痛むこともないし、顔の皮膚にも異変はないようなので、そのまま自転車に乗ってその場を離れた。まともにではなく、噴霧の流れのそがれを少し浴びた程度だったと判断した。小川が近くにあったことで、すぐに処置できたことも幸いだった。男に苦情を言ったところでどうなるわけでもなく、男とのやりとりを考えると面倒で、黙って立ち去ることを選んだのだ。その後身体になんの異変もなかったから、事なきをえたのだ。ただ、農薬を顔に浴びたときの言いしれぬ不気味と怖気が、私の感覚に深く刻みこまれた。

その頃、団地の一角にある私の家の庭で、百円野菜の店を開いたことがある。相方の家で採れた野菜を並べて売ったのである。

ネギを手にした初老の白髪の女性が、
――こういうネギがいいのよね
という。泥つきの曲がったネギで十本百円にしたのだが、美味しいことは確かであっても、見た目は決していいとは言えない。女性のいわんとする意味がつかみかねていると、

――これ、消毒なんかしてないでしょう
――ええ、無農薬です
――そんな感じね、それにおいしそう

――うちの野菜は、米ぬかや堆肥などの有機肥料をたっぷり使っているから、柔らかくて甘みがあって、美味しいですよ
――わたし、農家生まれなのよ
――ああ、そうなんですか
――だから、スーパーで売っているネギなんか、買って食べる気になれないのよ
――ほう、どうしてですか
――農薬をすっごくかけるもの。実家でも、そうだったから知ってるのよ。
――・・・・
――でも、今でも実家でネギもらうのよ
――?
――出荷するネギじゃなく、お宅のみたいな農薬をかけないネギ
――それは・・・
――あら、知らなかったの
 女性の表情が悪戯っぽい色を帯びる。
――農薬がかかった野菜は身体によくないから、出荷する農家だって普段食べるものは、脇の方で別に作ってるお宅のような無農薬ものなのよ

――じゃ、身体に悪いものを出荷してるってことですか
――そういうこと。これって、このあたりの常識よ。でも、お宅のネギのようなの出荷したら売れないから仕方ないわ。売れるのはこんな曲がったり、葉に黄色っぽい枯れが入ったものじゃなく、見た目がきれいなものだもの。それこそ虫がいたりしたら大ごとになってしまうから。だから、大量に農薬をかける。肥料だって、病気にならないような化学肥料を多く使うのよ
――ふーん、そういうことなのか

 百円野菜の店は、一ヶ月半ほどでやめてしまった。あまり売れなかったからである。
それから程なくして、今の相方の家に移り住んで、田畑の仕事をやるようになったのだが、初老の女性とのネギについてのやりとりは、食の安全ということを考えるきっかけになった。
都会で生活していた頃、「自然食品の店」という類いの店をあちこちで見かけた。栃木県大田原市に移住してからも、住居の近隣にもあることにすぐ気づいた。
農薬やある種の化学肥料が人間の健康に悪影響を及ぼすということは、よく言われることである。
初老の女性との対話以後、周辺のネギ農家を自然注意深く観察するようになった。今はネギ農家も機械化されていて、畑を畝うのはもちろんのこと、育ちつつあるネギに土を盛り上げるのも、肥料を撒くのも、消毒剤を散布するのも、専用の機械なのだった。広い畑で消毒薬を撒いている場面に何度か遭遇したが、確かに女性がいったように、大量の消毒液を、ええっ、あんなに、と呆れてしまうぐらいにネギにふりかけるのである。私は見ていて胸が苦しくなるのを感じた。

 

農薬使用量や化学肥料の使用基準というものがあって、おそらくその基準値の範囲で使用しているのだろう、と思う。しかし、私の見た目には、食べ物になる作物にあんなに農薬をかけていいのだろうか、と疑問を感じないではいられなかった。確かにあれだけ農薬をかければ、虫はつかないだろうし、見た目の良いきれいな作物ができるのかもしれない。

そう感じるのは私だけではなく、農薬をかけているネギ農家の人自身さえも、それを食べないというのだから、何をかいわんやである。
以後、私はスーパーなどで野菜を買う気がしなくなってしまった。もっとも自身で作っているのだから、買う必要もないわけだが・・・。
食に対する不安が、無農薬、有機栽培の作物から作った安全食品ということをうたい文句にする「自然食品の店」が支持されるいわれなのだろう。
私が都会にいた頃そうだったように、多くの人が作物にどんな肥料や農薬が使われているのか知らずに、店で食べ物を買っているに違いない。

我が家では基本的に農薬を使わない。
農薬を使わないと虫が発生することは避けられない。ではどのようにして虫を撃退するのか。
たとえば葉もの、白菜や小松菜などには防虫ネットをかぶせて、虫がたかるのを防ぐのだ。それでも、たとえばブロッコリーやキャベツなどには虫がつく。それは、手でとる他はないのだ。

こういうやり方だから、大量生産はできない。夫婦二人で作れる範囲でやっている。
肥料も、自作の堆肥や、米糠、油かす、豚糞、などだ。
うちのものは皆美味しいと言われるが、土地が斜面で水はけがいいのと、この有機肥料のおかげだと、私は思っている。

一時は市場や道の駅などに出荷しようとしたのだが、いろいろと規制が多く面倒なので、やめてしまった。

虫がつくのは、虫が安全安心ということが本能的に分かるからだろう。

虫と同じというか、安全安心の食べ物を自身が食べられることが一番と考えている。

限られた少人数の方に食べてもらって喜ばれていたのだが、頑張って作る作物の量を少しだけ多くし、その輪をちょっとだけ増やせればと思い、畑の手入れを始めた次第である。

2017年02月06日