仕事を続けられる幸せ

 農産物を出荷できるところを5、6年前から探していたのだが、2度断られてから半ばあきらめていた。一つは比較的近い大田原市佐久山の直売所、もう一つは那珂川町の公的な直売所である。どちらも要するに新参者排除の論理で、ここは地区の人が出荷するところだからダメ、というのだった。大田原市佐久山の直売所はともかくも、那珂川町町営の直売所が地区の人が出荷するところだからという理由で同じ町の住民の出荷を排除するとは、と私は呆れてしまった。既得権益を守ろうとする田舎特有の偏狭な理屈で、だから田舎は発展しないんだとおもい、以来私の出荷の意欲は減退してしまい、当たってみるべきところは他にも複数あったのだが、出向いてみる気にはなれなかった。

 それがどうして「ゆうゆう直売所」に出荷することになったのかーー

 交渉したのは私ではなく相方だったのである。相方が言うにはほんの偶然が幸いしたのだった。

 その日、争うことなどあまりない二人がめずらしく農作業の手順を巡って言い合いになった。感情的になった私が強い言葉を放ってしまったのである。気まずい雰囲気になり、私は後悔したが遅かった。彼女はくさくさした気分で車に乗り込んだ。私と言い争いなどしなければ決してそんな気にならなかったわと後で述懐したものだが、昔縫製工場で一緒に働いたことがある知人女性を思い出し、その知人女性がパートをしている「ゆうゆう直売所」に立ち寄ったのである。何が幸いするか分からないものだ。そこで世間話をしているうちに、その女性に野菜を出してみたら、と勧められたのだった。聞くと、そこに出荷していた高齢者が亡くなったり、出荷できなくなって「空き」が二つ出来たという。出荷する会員権は一万円で購入できるというので、その場で支払い会員になったのである。東京の会社でバーコードを作ってもらうので、出来次第出荷できると言われて帰ってきたのだった。

 出荷し始めて、初日二日目は半分ぐらいが売れたのが、先日行ってみると、干し柿や乾燥芋がその後出したものも含めて完売していた。アロエベラはあまり売れていないが、別のルートで売れている。

 農家民宿の宣伝うたい文句として、「農業収穫体験」と「田舎料理」を掲げている関係上、これまでやってきた三倍ぐらいの規模で農作物を作ることにしたものの、高齢者の域に達している二人にはこんなに増やしては無理だから、来年は半分に縮小しようと話していた矢先だった。

 例えばサツマイモは昨年は二つ穴を掘って保存したのだが、今年はその保存のための穴が五つに増えていた。こんなに保存してもふたりでは食べられないしどうしたものか思案していたのだ。それが乾燥芋にして出荷できることになったのだから分からないものである。

――いっぱい作っておいてよかったねえ

 と二人で言い合った。

 柿は植苗してから六年目の今年、100本中80本が実をつけた。これもどうするかあてもなく、ただ知人に進呈するだけだったのが、ある知り合いが一個50円で100個買ってくれたのだ。それが呼び水になったのか、出荷がかない、干し柿にして6個500円、5個だと450円で10箱並べると数日で完売することが分かったのである。多分来年は100本の柿全部が実をつけると思うし、柿の木自体が大きくなるので、付ける実の数も増えるはずである。それを干し柿にして出荷できるわけだから、希望が大きく膨らむおもいなのだ。

 ここ一年程民宿の宿泊客拡大に向けていろいろやったきたが、なかなか上手くいかなかった。それが農作物の出荷である程度の収入が見込めることで、宿泊客がなくともどうにかなると見通しがたったことになる。

――お客さんの対応は気疲れするし、料理のメニューを考えるのも一苦労、買い出しして料理を作るのはかなりの負担、民宿なんて大変でやる気になれない、という人が多いわけはやってみてわかったわ

 と、相方が言う。

 確かに、五月の連休のときは四日連続でお客さんが入ってしまい、てんてこ舞い疲労困憊した。これは無理だなと判断し、朝食のみか食事無しの素泊まりに舵を切ったのである。

 まあ、直売所に農産物を出荷するのだっていろいろな問題が出てくるだろうが、それらをひとつひとつクリアしていけばいい。民宿よりは気楽かもしれないともおもう。民宿だって、これまでに二組だけだが素泊まり客が入った。これだと客対応は格段に楽だし、布団の上げ下ろし、シーツ類の洗濯と布団干しをやるだけでいいのである。
 
 ともあれ、干し柿は完売して残っていないので、ここのところ乾燥芋作りに専念している。雑木林で枯れ木を集め、チェーンソーで適度な長さに切って一輪車で竈の小屋まで運ぶ、サツマイモを保存穴から出してやはり一輪車で運び、頭と尻尾の部分を包丁で切る、それをふかし鍋に入れて、竈で煮るのである。

 やはりそれなりの手間はかかるのだが、枯れ木をチェーンソーで切るにしても、竈の下に入れて燃やすにしても、私にとっては新鮮で楽しいのだ。

 チェーンソー操作は危険と隣り合わせの力業で男の仕事という感じだ。それに燃える太木の炎は太古の昔や祖先を回顧するような懐かしさ感じさせる。だから火を燃やす作業は子供の頃から好きだったのだ。

 燃やし木を窯に入れ炎を眺めながら、乾燥芋作りの作業をやれる幸せを感じる。直売所のパートさんに乾燥芋を進呈しところ、それをお客さんに食べてもらったところ美味しいといい、これはどの商品ですかと聞かれたので、小口さんのですと伝えるとその場で2箱買って帰

ったという。

――ガスで煮るのではなく、薪でしかも二時間以上ふかし窯でじっくりふかすのだから美味しいのよ、それに水はけのいい斜面の畑で牛糞、米糠、油粕などの有機肥料で育てた芋だもの、出来上がりが違うとおもうの

 と相方が言う。

 出荷農家の多くが高齢者である。いままで出荷していた人が亡くなったり、病気になったり、施設に入ったりで、出荷できなくなっているという。そういってはなんだが、そのおかげで我が家にチャンスが巡ってきたともいえる。私たち二人だって高齢者なのだが、二人ともまだまだ元気である。これが元気で健康でなかったら、出荷は出来ない。健康よありがとう、である。

 聞くと私たち二人よりも年下なのに、脳梗塞とか癌を患い出荷できなくなったというケースがあるいう。

 健康になるには、身体の健康と心の健康二つとも揃わないと本当の健康にはなれない。

 体の健康には栄養のバランスのとれた食事をする、そして、特に大切なのは47種類の必須微量栄養素をそのうちの一つでも欠けないように摂ることなのだ。

 心の健康は、常に前向きに生き、愚痴やマイナスの言葉を口にしないことである。そうすれば健康に重要な鍵を握っている潜在意識をきれいに保つことができるからである。

 私も相方もこの二つのことを常に意識している。二人が元気な由縁である。

2019年01月28日