ライフワーク

 執筆がライフワークとおもってきたのに、最近は生活のことばかりにかまけて、エッセイはときどき発表してはいるが、本筋と位置づけてきたはずの小説がさっぱりである。これはではいけない。そうおもった。

 現在は民泊仲介サイトVacation STAYの世界展開と、Airbnbの「ねっぱん!」との連携待ちの状態であるのと、急遽オープンした柿農園ファミリーキャンプ場の整備と集客のことで頭が一杯なのであるが、あることがきっかけで、待てよ、こんなことだけにかまけていて、本来やるべき執筆をなおざりにしておいていいのか、という声がどこかから聞こえてきたのである。

 それは、自分の内省の声だということはすぐに分かった。内省の声とは、ふと口を突いてでる自分のつぶやきのようなものである。

 小説とエッセイは二十九才のときから書いているのだから、四十四年書いてきたことになる。それが、ここ二年ぐらい小説を全く書いていない。エッセイは書いているのだから、文章の勘所は忘れていないだろうとおもう。小説とエッセイの文章は微妙に違う。対する心構えも違う。しかし、全く違っているわけではなく、両者は地続きである。

 と考えてきて、ライフワークの小説の執筆に戻ろうというおもいが強くなってきた。

 おもったら即実行である。

 二年間放っておいた「楓林の恋」がある。ギター弾き語りの劇中歌まで作っておいて、挫折したというか、何となく行き詰まってしまい、中断しているのだ。

 この執筆を再開して、完成に漕ぎつけよう。確か原稿用紙350枚ぐらいまで行っている。5~600枚ぐらいが目標で、〇〇賞に応募しようとおもって書き始めたのだった。

 あらすじは決まっている。登場人物が多く、収拾がつかなくなったということがある。しかし、それは行き詰まった決定的な要因ではない。主人公とヒロイン、そして、この物語のモチーフである、バックボーンでもある重要な女性とその相手の男性の絡み合いというか、展開が上手くいかなかったことが大きな原因なのだ。

 そういうことが二年たった今分かる。それと、主人公とヒロインの性格造形もはっきりしなかったということもある。そこをはっきりさせなければならない。人物性格造形がしっかりできれば、物語は自ずとダイナミックに動き始めるはずである。

 書き始めれば自分の中では格段の作品になる自信がある。

 それは、明確な目標もなく書いていた以前とは違って、自分の中に強い信念が芽生えたということがある。強い信念とは、自分の潜在意識を使って書くということである。自分の潜在意識を使えばいい作品が書けるということが明確に分かっているのだ。

 それを具体的に言うと、書き上げた後の状態をイメージ化し、それも明確にイメージし、脳の中にしっかり想い浮かべるということである。そして、それを信じてゆるがせにしないことなのだ。それが願望を叶える秘訣だ。

 振り返ってみると、私は自分の願望を叶えたとき、そのときは意識してはいず、いつも無意識のうちにそうしていたということに気づいた。それを今度は意識してそうするつもりなのである。

2018年10月25日