間に合ってよかった

 田んぼの枯れ草を燃やしながら、ふとおもったことがある。

――間にあってよかった、本当によかったなあ

 田んぼの枯れ草は、私が十日ほどかかって刈ったものである。

 我が家の田んぼは70a程あり、昨年は米一体30kgを運ぶのが大変なので、米作りは縮小することにして、30aを休耕にしたのだ。休耕すると田んぼはたちまち荒れて、雑草が伸び放題になり、私よりも高い背丈の雑草もあって、このまま来年も休耕したらもっと酷いことになることは避けられない。周りの人に迷惑にもなるし、苦情がくるかもしれない。

 それで、来年はまた米を作ることにし、雑草を刈って田んぼを修復することにしたのだ。結果的に雑草を刈るのに十日もかかり、それが乾くのを待って燃やし始めたというわけである。燃やすのもいっぺんにやると消防車が駆けつけてきかねないので、少しずつやっている。これも五日はかかりそうだ。米30kgが重いといっても、この一連の作業の手間を考えたらたいしたことはない。

 間に合ってよかったと感じたのは、このことに関してではなく、重労働ともいえる一連の作業をこなしている自分に対して感じたことである。

 私は23年に渡る亡妻の介護の後、現在の同居者に出会い、同居してはや十年がたつ。介護の後半の十年はぎっくり腰や長引く風邪、不眠などに悩み決して健康とはいえなかった。医院で検査を受けると軽いが脂肪肝になっていることも分かった。ビールの飲みすぎだったのだ。

 今の家に入った当初は、丘の中腹にある竹藪までの少しの坂で息切れした。そのことで身体が相当やわになっていたことを実感したものである。

 しかし、農作業は私を鍛えた。丘の畑での作業、雑木林、柿畑、田んぼと合わせると4haある土地の草刈りはそれなりの体力がないとできない。一、二年のうちに、丘の尾根まで登っても息切れしなくなり、農作業もそれほどきついと感じなくなった。冬場でもぐっしょりと汗をかいて、何度も下着を取り換える。そうしないと風邪をひいてしまう。高齢の域に入っている身としては、ときに休息をとる。私の場合、それに加えて必ず一時間の昼寝の時間をとっている。重労働だから、当然疲れる。初めの頃はともかくも、次第に休めば疲れがとれるようになった。

 現役のころは頭脳労働で疲れがたまると、頭が鉛のように感じられて、酷いときには休んでも寝ても疲れがとれず、残滓となった疲労を抱えたまま仕事をしていたような感じだった。これは今にして、体力がなかったからだとおもい当たるのである。当時のやわな身体では今の農作業は到底無理で、30分もしないうちにへばってしまうだろう。

 今日の作業は、まず朝、尾根に上って、芋の保存用の穴に使う萱を刈払機で刈って干した。次にキャンプ場のための山林の下刈り、昼食、一時間の昼寝を挟んで、立ち枯れた樹木の伐採、愛犬モモの散歩をし、その後田んぼの枯れ草を燃やしたわけである。どれもハードな作業で、たとえば枯れ木の伐採は重いチェーンソーを持つわけだが、現役の頃だったらチェーンソーを尾根に運ぶだけで参ってしまったに違いない。チェーンソーは手元が狂ったら自分の命が危ない危険なものだから、それこそ精魂を傾けての作業である。緊張の連続で、相応の筋力がなければチェーンソーを扱うことはできない。肉体的な男の仕事だな、と実感する。刈り払い機だって同じだし、犬の散歩にしても三十分弱小走りに歩くのだ。当年73才にしては、よくやっているなあ、という内容だろう。

 尤も近隣の農家の高齢者を見回すと、85才ぐらいでトラクターやコンバインを駆使して作業しているなんて例はざらで、そういう意味では73才の私などまだ若い部類に属している。

 女性だって負けてはいない。ある88才の女性は私が田んぼの枯れ草を燃やしていたとき、遠くの田んぼの中でなにやら蹲って作業している姿が見えた。後で相方に話すと、藁を集めて束ねているのよ、と言った。この「く」の字以上に腰が曲がった女性が仕事をしている姿をよく見かけるのだが、私はいつも「あっぱれ」とおもい、見習わなければと励まされるのである。

 この方たちは普段から農作業で自然に身体を鍛えているから、高齢になっても丈夫でいられるのである。たとえ一、二年鍛えたとしてもこうはなれないに違いない。

 私の小学校の男の同級生は半数以上が他界してしまったが、サラリーマンや自営業の肉体労働をしない人が多かった。

私が、

――間に合ってよかった

 と言う意味は、ハードな農作業が出来る筋力を作るには、ある程度の若さが必要で、もし今の年齢で鍛え始めても無理で、十年前から始めたから可能だったとおもうからである。

 ともあれ、農機具を駆使するために、腕や足の筋肉を思う存分使うのは、心地よい。しかも汗みどろの格闘である。このダイナミックな充実感は肉体労働だからこそだ。頭脳労働では決して味わえないものである。

 胃病での入退院、腰痛、しょっちゅう風邪をひく、など、現役時代は自分をひ弱としかおもえず、こんな充実した肉体労働の日々が来るなんて、当時は夢にも想像できなかった。

――本当に間に合ってよかった

 とおもう由縁である。

2018年10月23日